林雪(ラム・シュ)

林雪&杜Sir@PTU・人相は悪いが、縁はいい
林雪(ラム・シュ)は見た目は凶悪だが、人の縁には恵まれている。20数年前、彼はビリアード場で林正英(ラム・チェンイン)と知り合い、彼のおかげで映画業界で雑用係りをするようになった。林正英が林雪を映画界に引き入れてくれ、彼は雑用係りになった。家具などの大道具の破棄から、後に正式なセットの廃棄係になった。そのころ多くの有名人に出会っている。
初めて彼に出演の機会を与えたのは《力王》の監督・藍乃才(ラム・ナイチョイ)だ。
「その時、僕は雑用係りだった。監督にとりあえず『筋肉人監躉』に扮するようにいわれた。夏の暑い時で、その『肉襦袢』を着て暑くて死にそうだった。食べることもトイレに行くこともできなかった。我慢できなくなった。ところが監督は6000ドルの給料を僕にくれて、いてくれといったんだ。分かるかい。その時、現場の雑務は、日給わずか900ドルだったんだ。6000なんて明らかにすごい収入だよ。もうそれから病みつきだよ。苦しくても楽しかったよ」。
演技の勉強をしたことのない彼は、こんな感じだ。いつも臨時に呼ばれては小さな役をこなし、だんだんと演技に磨きをかけた。そして現在の「ボス」杜琪峰(ジョニー・トー)の知るところとなった。最初は通行人甲乙、《非常突然》で初めて彼は演技が出来ると認識された。
「《非常突然》のおかげで、杜Sir(杜琪峰)は、林雪は俳優が出来ると認めてくれたんだ。ある場面を撮り終わった時、彼を見ると満面の笑みを湛えていた。彼の喜ぶ表情で初めて、僕は自分の演技が正しかったと判断出来るんだ」。
それ以来、林雪の自信はどんどん大きくなっていき、どんどん演技することが病みつきになっていった。《再見阿郎》の撮影中、彼は自分から監督に意見を言ってみて、初めて自分のスタイルを獲得出来た。
「《鎗火(ザ・ミッション)》の時、箸で食べ物を取って箸を置くという場面で、監督にどうしていいか分からないほど怒られた。プレミアを見たら、当然、銀幕の中の自分の演技は満足のいくものだった、それで初めて監督の気配りが分かった。身体は自分のものだが、その魂は杜琪峰のものなんだ。だから金馬奨や金像奨を受賞したとしても、僕は《再見阿郎》が最も満足している映画なんだ。それは自分の意見が入っているからだよ。タクシーを運転して劉青雲ラウ・チンワン)を載せている場面が、僕が最も好きな場面だ。その時の感覚はとてもいいものだった」。
周星馳が必要
《喜劇之王》で呉孟達(ン・マンタ)が扮した雑務役を覚えているだろうか。弁当を配り、大声でどなり、悪人面の。その役は実は、周星馳が林雪から思いついたものなのだ。
「その時、僕は雑務係りで、周星馳は業界に入ったばかりだった。あるとき、彼は仕事が終わり、僕が周星馳に車を用意してあげて九龍城に行くことになっていた。ところが周星馳は急いでいると言うので、僕は自分でタクシーを拾って行くようにいったら、周星馳は大人しく車をまっていたよ。後になって、周星馳が有名になってから、ある時、現場で偶然に出会った。彼はその日、僕が待っているようにといった事を覚えていたよ、ははは・・・」。
「以前、僕は現場で弁当を配っていた。『ちょっとまってなよ。騒がないでくれよ。夜中の1時に食べたって、死にゃしないぜ』『どいたどいた。まだ終わってない人がいるんだ。終わったヤツはちょっと待ってくれよ』そういうことを言ってたんだ。周星馳は細かく観察していて、心に留めていた。周星馳は《喜劇之王》を撮って、呉孟達に雑務係りを演じさせた。それは僕にそっくりだった。普段僕達は自分の言葉に特に注意を払わない。映画っていうのは、生きた人物を描写することだと分かったんだ。人もひとつのドラマなんだ。初めは、重要な事は、自分が映画が好きで、自分の演じたいという気持ちが満足する事だと思っていた。しかし本当は、そんな簡単なことじゃなかったんだ」。(後略)by「milk」196号 禁無断転載

これは「第11回十大電視広告奨」を受賞した人々にインタビューした中の1つ。林雪が昨年初めて撮ったTVCMは雀巣(ネッスル)[女乃]茶の缶飲料で、タイで撮影したという。《PTU》特集ということで、その中から林雪のインタビューを拾ってみた。とても興味深い。《再見阿郎》は大好きな映画だ。この時、林雪は自分の意見を杜琪峰に言えるほどすでに監督からかなり信頼されていたようだ。杜琪峰組になくてはならない人だが、他の映画では、いろいろなキャラクターを演じていて、妙に懐が深い不思議な人だ。雑用係りだったのは知っていたが、《喜劇之王》の呉孟達が林雪だったとは、びっくり。