摯愛(雨音にきみを想う)

《摯愛》
薜凱琪(フィオナ・シッ)、郭品超(ディラン・クォ) 馬豪偉(ジョー・マー):監督


永然(薜凱琪)は体の不自由な兄・永豊とその娘・悠悠の3人で、貧しく郊外で暮らしている。兄は昔、バイオリニストだったが、遺伝性の病気(血管が極端に細く、詰まってしまい、体の自由がきかなくなる=血管炎のことか?)で、いまは寝たきりとなり、妹の永然が面倒をみているが、永然にも発病の可能性がある。永然は、カーテンを縫う内職で一家を支えているが、弱味に付け込み卸値を値切られるなど、乏しい収入では、悠悠に満足な教育も受けさせられないと思っている。
ある日、悠悠は1人で出かけて行って迷子になり、路地で出会った郭品超に家までタクシーで送ってもらった。卓勤(郭品超)は必至で暮らす永然一家が気になったのか、彼女の家の2階の空部屋を倉庫として借りたいという。余裕なく生活していた永然の兄に、電動車椅子をプレゼントしてみたり、家族を外に連れ出したりと何くれとなく一家をかまうようになる。ひとりつっぱって生きてきた永然は、しだいに郭品超に惹かれて行くようになるのだが、彼はなかなか自分の本当の姿を見せようとしない。いったい何をして稼いでいるか、彼の本当に姿がだんだんと見え始めたとき・・・・。


難病の兄にもそれなりの物語りがありそうで、「永然と卓勤の恋」のエピソードとして語られるほど簡単なものではなく、このことだけでも映画が出来きそうだ。「彼女にも訪れるかもしれない難病の姿」を見せるためだけに兄が存在するなら、最初からいない存在として描いても好かったのではと思うし、「永然と卓勤の恋」と兄夫婦の破たんを対比させるというなら、また別の描き方がありそうだ。さらに卓勤を巡る物語もそれなりにありそうだ。いろいろ要素を詰め込んだがために、処理の仕方(つまりは台本の問題)で、「永然と卓勤の恋」に話のフォーカスがしっかりいっていないように感じさせてしまう。さらに終わり方、そういう風にもってくるか(ネタバレになるので、具体的な話は書かない)。タイトルの《摯愛》は「誠実な愛」という意味だが、誠実な愛の証しは、確かに彼女には必要なものだけど、それではあまりで、感動できないぞぃ。さらにその部分だけは何故かおとぎ話風で前半の妙なリアルさとはあまりに違う。
郭品超は、台湾の俳優&歌手。やはり台湾出身として描かれていて、台詞は自分の声。アップになると以前の陳暁東(ダニエル・チャン)に少し似ているが、陳暁東よりシャープで、背もかなり高いようだ。薜凱琪は《早熟》に続いてこれが映画2作目。2005.9.16@旺角百老匯


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