王天林(ウォン・ティンラム)

杜琪峰(ジョニー・トー)の作品《黒社会》において、王天林(ウォン・ティンラム)が的確に演じた組のオジキ・[登β]オヤジは、誰が龍頭棍を得て、ボスになればいいと思ってっているのだろう。まずは彼本人について語ってみよう。王天林は、すでに映画界に60年、監督した作品は300本を超える。さらにアジアの映画賞で最優秀監督賞も受賞している。73年に無線電視に入り、その後、売れっ子プロデューサーとなった。杜琪峰や林嶺東(リンゴ・ラム)などの才能を見抜いて無線で起用し、さらに自分の息子・王晶バリー・ウォン/ウォン・ジン)が映画製作に興味があると知ると、無線の脚本家に推薦した。王天林に育てられた3人の熱血青年は、現在はそれぞれ特色ある監督になっている。彼等の師匠は、映画界では尊敬を込め「天林叔(天林おやじ)」と呼ばれている。まるで江湖の長老のように、人生は劇のごとし。
年を取ると寂しいものだ。78歳の王天林は、一昨年暮れに連れ合いを亡くし、2人の娘と美孚邨に住んでいる。毎朝彼が起きるころには、2人の娘はすでに出勤しており、お手伝いさんだけが、体重250ポンド、腰回り50インチの老人の面倒をみている。従って王天林は喜んで仕事場へ行っている。撮影現場は賑やかで、みんなと話ができ、時間はどんどん過ぎてゆく。先日、油麻地の得如茶楼で天林叔は「ギャラの多い少ないはまったく考えていない。仕事があるのが嬉しい。家で閑にしていなくてもいいからね。妻が亡くなって、どうも一人は慣れない。娘たちは忙しくて、私につきあってはくれないしね」と言う。
一男四女の天林叔にとっては、どの子もよい子だが、それぞれ自分の仕事をもっているので、毎日家いて彼に付き添っているわけにはいかないという。そのことは天林叔は理解しており、「ある時は起きた時に、家に誰もいないこともある。数か月息子(王晶)に会わないこともある。気になったら電話をしてみればいいが、彼は北京へ行っていたり、明日は新疆に行くだのと、稼ぐために大変だ。彼の責任は大きいし、自分の映画会社を維持していかなくちゃならない。想像してごらん、そんなに簡単に維持できるわけはないだろう。ここ数年、映画市場は景気が悪い。彼の映画会社の映画もそんなにヒットしていない。会社のお金もそれほど余裕がない」。
本来、王晶は毎月、会社の経理を通して父に生活費を渡している。しかし数か月、会社から出る生活費が遅れたことがあり、彼は王晶が何か隠しているのではないかと思った。天林叔は「その時、電話をして資金が苦しいのではないかと聞くと、彼は絶対にそんなことはないという。私は彼の話にはかまわず、自分の蓄えをすべて彼の口座に入れてやった。あとで彼がそのことを知って、口では手助けはいらないというんだ。しかし最後にはその金を使ってたよ。親子なんだから、気兼ねすることないんだ。ここ1、2年は彼の経済状態もまたよくなってきて、事業も順調。以前に私が貸したお金はもうとっくに返してきたよ。さらに毎月、かなり多くの生活費をくれるんだ。しかし彼は、いまはしょちゅうあちこちを飛び回っている。やっぱり心配だよ」。
・亡き妻を思い涙
王晶は父親が時間を持て余しているのではと心配し、後添えを貰ったらどうだといってきた。しかし天林叔は婉曲に息子の好意を断った。「こんな歳だし、さらに女性なんてね。それに2人の娘とそりが会わなかったら、さらに面倒くさいじゃないか。面倒が増えるより少なくなるほうがいい。私と妻には50年の思い出がある。誰も彼女の代わりにはならないよ」。天林叔は、妻が亡くなったその日、みなが病院へ駆け付け妻の最期を見取った時を思い出して、涙が光っていた。彼はまだ妻を忘れられないのだろう。
毎週土曜日と日曜日、天林叔は娘と飲茶に行き、午後は友人たちと麻雀をする。「ほんのちょっと賭けるだけ。数百ドルなんて大金は賭けられない。昔はやったこともあったけどね。毎週2、3日仕事をして、さらに土曜日や日曜日に麻雀する元気があって、子供や孫や友人に会えれば、あとは何も要らないよ」。
・劉偉強(アンドリュー・ラウ
「以前、無線にいた時、すでに彼のことは知っていた。しかしその時は、私とはチームを組んでいなかった。彼は他のプロデューサーについていたので、テレビでは正式に一緒に仕事をしたことがなかった。だけど、彼はなかなか切れるという印象だった。映画界で、彼は最初はカメラマン、後に監督に転身して成功した。多くのヒット作を作っている。彼は本当に運がいい。何を撮っても稼いでいる。彼の撮った《無間道》は私も好きだ。この映画を見れば彼の監督としての技術が分かる」。
王晶
「多くの人は私の息子はいつも下らない映画ばかり撮っているという。しかし彼も芸術映画が撮れる。かつて彼は邵氏で文芸作品を1本撮っているが、儲からなかった。それが彼にはショックだったんだと思う。彼は社長の為に、商業映画中心に行こうと決めたんだ。何年にも渡って彼はヒット作を撮っている。これらの映画は芸術的には成し遂げるものはなかったのだが、観客に受け入れられたことは、興行成績が証明している。ただ、どんな監督にも波はある。私の目には王晶はよい監督のひとり。彼はこれからも社長や観客の要求を大前提に考えていくだろう」。
王家衛(ウォン・カーワイ)
「彼は03年に《2046》を私にオファーしてきた。当時、私はほぼまる1年待っていた。彼が撮りはじめると言ってきたとき、私はちょうど妻を亡くした後だった。仕事をする気にはなれなかった。それで結局撮影には至らなかった。しかし私はどうしてこの映画が5年もかかったのか、非常に興味がある。この映画を見たあと、どう撮っても5年もかかると思えなかったが、この映画はよく撮れていた。王家衛も才能のある監督のひとり。しかし彼の映画には予算というものが存在しない。いつも時間はオーバー、予算もオーバー。しかし別の面では、彼はいつも人にうらやましいと思われている。それは彼には、無条件に彼をサポートする社長がいるからだろう」。
・杜琪峰
「約25年前、彼が無線を離れたあとに撮った最初の映画《碧水寒山奪命金》を見て、私はその時すでに、なかなか悪くないと思った。無線を離れて映画界へ、彼の監督技術は急速に進歩し成熟している。撮影現場で何もかも承知しており、自分に何が必要なのか完全に知り尽くしている。さらに彼が撮る映画はさまざまな種類がある。喜劇、警察もの、愛情ドラマや文芸作品も撮れる。加えて彼の撮る映画は市場の要求には左右されない。好きなものをすきなように撮り、自由にできる部分が多い。《黒社会》は、彼の最近作のなかでもよい作品だといえる」。

長いのでまずはここまで。