如果・愛(ウィンターソング)

《如果・愛》
金城武、周迅(ジョウ・シュン)、張學友(ジャッキー・チョン)、チ・ジニ、曾志偉(エリック・ツァン)、呉君如(サンドラ・ン) 陳可辛(ピーター・チャン):監督


女優・孫納(周迅)はあらゆるものを踏み台にしていまの地位を獲得したといわれている。特に監督をたらし込むのはお得意とも。監督・聶文(張學友)は売れっ子、今回は自分の彼女でもある孫納と俳優・林見東(金城武)で、ある三角関係の物語りを撮ろうとしていた。その物語りとは、過去を忘れサーカス団に拾われた娘とサーカス団の団長、そして彼女を10年間捜し続けていた男の話し。
孫納は10年前、監督志望の林見東(金城武)の元からいなくなったきり、一度も彼の元へ戻らなかった。林見東は10年、孫納を捜し続けていた。その間、林見東は監督になるのを諦め、俳優になっていた。そしてこの記者会見場で孫納に再会した。しかし孫納は過去のすべてを否定していた。映画の内容が実際の物語りと交錯していく・・・。


ミュージカル、金城武、周迅、張學友というなんだか全然マッチしない組み合わせ、見なれないものを見たという感じ。
歌い上げるのはもっぱら學友の仕事、周迅は踊りも一応、金城武は歌う場面もあるが、多くは台詞、チ・ジニは、台詞は吹き替えだと思うが、歌は自分で歌っているような気がする。あ、チ・ジニはどう言う役といえば、物語りの導き手で傍観者といえばいいのか。だとしたら、もっと物語りの端々に出てきてもよかったような気がするが。
ミュージカルは劇中で撮影されている映画が、ミュージカルという設定。現実の世界には浸蝕してこない。劇中と現実の感情が区別がなくなるように、ミュージカルのパートがもっと現実部分にも浸蝕してきて、現実と劇中の区別がどんどんなくなってもいいのではと思う。というのは、現実部分はいつまでも現実であって、リアルなのに対して、劇中劇はやはり劇で虚構。たぶんその乖離がしっくりこない理由だと思う。だからミュージカル部分が(劇が)、現実(リアル)を浸蝕してしまって、全体が劇になればいいのではと思うのだが。
したがって面白かったかと聞かれると、中間。最初はストーリーの把握で終わってしまったので、もう1度見る機会があれば、見ておこうとは思う。それと、香港人にはこういう映画はちと辛いのではと思う。2005.12.9@旺角百老匯


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