晶哥、大哥から星爺まで

《風雲(風雲・ストームライダース)》《少林足球(少林サッカー)》《父子》の美術指導(アートディレクター)をつとめた何剣雄と成龍ジャッキー・チェン)や星爺の《功夫カンフー・ハッスル)》の美術指導・黄鋭民の対談。

Milk:近年、香港映画のセット製作は、以前に比べて真剣になったように感じていますが。
黄鋭民(オリバー・ウォン):製作の規模がどんどん両極化していると感じます。これはもちろん資金に関係があり、投資するにたりるかどうかということの反映でもあります。
何剣雄(サイラス・ホー):まったくそのとうりだと思います。《満城盡帯黄金甲》の俗っぽさにあふれた贅沢さは徹底しており、念入りでほぼ完璧だと思える。美術指導(アートディレクター)と製作部門の努力が見て取れます。その一方で、資金のないアートディレクターは、形式的に名前があるだけで、出来ることは限られており、ただ映画の為にロケ場所を探すぐらいしかできません。
M:両極化はいいことなのでしょか、悪いことなのでしょうか。
黄:いいことは、香港の美術製作スタッフの質はどんどん高くなっていくということです。ハリウッド映画が香港で撮影する時には、香港の製作スタッフを起用します。たとえば《ラッシュアワー》や《トゥームレーダー》などがそうでした。
何:近年、私に美術指導をオファーしてくる人は少なくなっています。若いうちにと思って、室内設計などを試みています。両方の仕事をすることで、満足感が得られます。もちろん美術指導の方がより満足を得られるのですが、今の環境では自ずと仕事が限られてしまいますから。
M:何さんにとって、室内設計と美術指導の違いはどんなことでしょうか。
何:室内設計はより生活に根ざしています。しかし美術指導の制作はクレイジーになれます。
黄:デザインを考える前に、私たちは脚本の内容をしっかりと理解しなくてなりません。その後、ストーリーに合致したデザインを作りだします。私たち美術指導の原則は劇中の目に見えるものや事柄はすべて、私たちに関わているということです。
M:昔と今では、どのような違いがあるでしょうか。
何:80年代はみな大げさな生活が好きでした。なので、大作でも小品でも、富豪のパーティーが必要でした。資金がなければ、チョンキンマンションへ行って外国人を探してきて、ハイソサエティな扮装をさせて、屋上でパーティーを開いたのです。最も高いものは、ウエディングドレス屋で借りてきたタキシードでした。当然、今は、みんなの好みがグレードアップしています。私たちがデザインする時には、室内のデザインから家具のブランドまでより吟味するようになりました。
黄:デザインをする前に、私たちは脚本の内容を熟知しなければならないだけでなく、出演者の性格や好み、仕事や小さな動作にいたるまで把握することが最も重要です。それで初めて「リアル」なセットや小道具や服装がデザインできるのです。以前は「古いもの取り入れる」ということを必ずしも重要視していませんでした。しかしもしあらゆるものが真新しかったら、生活をしているという説得力が少しもなくなってしまいます。今はみなこの過程を大切にしています。それは映画にリアリティを与えることになるからです。
M:それは、これら2の時期(今と昔)の制作環境の違いに関係があるのでしょうか。
黄:これは、この業界が成熟したということだと思います。
何:しかし実際には、2つの時期の仕事の仕方には大きな違いがあります。
黄:それは制度の有る無しを言っているのです。以前スタッフの会議ではあらゆる部門の人が会議に出席していました。みんなが一緒になってアイディアをひねり出しました。脚本家が思いついたある台詞に、美術指導はどんな小道具がそれに合うか考えるのです。ただ、いい意見が重要、どんな人でも部門を越えて意見が出せるので、士気はあがり、なごやかでした。みな多くの時間をさいていましたが、みな映画を愛していましたので、かまいませんでした。
何:そのとおりです。今はみな管理についてうるさくいい、制度が必要になっています。制度があると、あらゆることがよりはっきりしますが、みな自分を守ろとして、以前のようではなくなってしまいます。(づづく)