任達華が語る杜琪峰と《文雀》

先だって中環の天星碼頭の取り壊しは激しい論争を引き起こし、集体回憶(Collective Memory)に対する注目が再び沸き起こった。4年の歳月をかけ撮影された《文雀》は、監督の杜琪峰(ジョニー・トー)によると、映画の中の1つ1つの物事に無くなってしまった香港の懐かしいものたちへの思いを込めているという。古いものが好きだという任達華(サイモン・ヤム)は、ロケ地である永樂街にはさまざまな思いがある。毎日自分で自転車をこぎ、街の隅々を走った。任達華の目に《文雀》は、杜琪峰のいつもの力強さは影をひそめ、柔らかい感情につつまれているように見えるという。任達華が「いつもと違う杜琪峰、いつもと違う心持ち」と新しい映画を形容するのも納得できる。


杜琪峰と長年仕事をしてきて、任達華はこの作品は杜琪峰作品の中でもっともリラックスした作品だという。「この映画を撮って、心はまるで10年若返ったようだ。リラックスしていて、気持ちがよい。僕が演じる棋は、毎日自転車を漕いで、街のあちこちを走りまわる。表向きはカメラで身近な人や物事を撮影しているが、実は次の目標を探している。そんなわけで毎日永樂街を流している」。


作品を見て任達華は、新しい映画は《PTU》《黒社会》《神探》のような黒々とした色調ではなく、新たな色彩にリラックスした音楽を合わせているという。「いつもと違う香港を表現するため、今回はフランス人に音楽を頼んだ。出来上がりはいい感じだ」。杜琪峰との仕事が多いが、任達華はハリウッドの脚本が来ても、それは脇において、まず杜琪峰の映画を受けると言う。「杜琪峰との仕事は、みなに暗黙の了解があって、まるで自分の家に帰って来たみたいだ。僕はなにも言わなくてもいい。現場のスタッフは僕にコーラなどのドリンクを飲まないのかと聞く必要もない。自然に白湯を誰かが出してくれる。なぜなら僕が普段冷たい水を飲まないことをよく分かっているから。これらは一緒が長いことによる暗黙の了解だ。もし2本の脚本が目の前に出されたとしよう。1つは杜琪峰のもう1つはハリウッドの。僕はまず杜琪峰のを選ぶ。なぜなら僕は彼の映画がどんどん好きになるからだ。2、3分の出演でもかまわない。それでも主役と同じように考えている。彼と一緒の映画には、どこにも不満なところがないんだ。さらに彼の映画は見たあとに考えなければならない。そういう種類の映画なんだ。だからこそ、長い生命力を保っていられると思っている」by 2008.6.9「文匯報」

杜琪峰から見た任達華を是非聞いてみたい。