許鞍華

もうすぐ《天水圍的夜與霧》が公開になるので、《天水圍的日與夜》と《天水圍的夜與霧》の関係をおさらい。

多くの人は《天水圍的日與夜(生きていく日々)》(略称《日與夜》)は資金が集められず当初撮影が困難だったと話した。しかしインタビューを受けた許鞍華(アン・ホイ)は、大変だったのは《天水圍的夜與霧》(略称《夜與霧》)だったという。《天水圍》シリーズは現在のところ2作品ある。《夜與霧》は《日與夜》の続編と見られているが、実は許鞍華が最初に考えていたのは《夜與霧》で、《日與夜》は偶然だったと話す。
 

許鞍華は数年前すでに《夜與霧》の準備にとりかかっていた。しかし資金が集められず、途中《姨媽的后現代生活(おばさんのポストモダン生活)》の撮影をした。《夜與霧》は実際の事件を改編したもので、妻殺しやDV(ドメスティック・バイオレンス)、香港へやってきた大陸人についてなどセンシティヴな問題を含んでおり、大陸の審査を通過するのは難しい。大陸マーケットが見込めないと資金は集まらない。許鞍華は撮影準備中にそれに気付き、二次資金はなく撮影が出来ないため、最初の資金をスタッフに渡し、その後スタッフは解散、《夜與霧》は膠着状態になった。
このとき突然許鞍華は、2000年にある学生が送ってよこした脚本のことを思い出した。それが《日與夜》だった。(2007年)7月《夜與霧》は停止、9月《日與夜》はクランクインした。「《日與夜》はハイヴィジョンで撮影しようとしていたので、資金は少なく、簡単に資金集めが出来た」。ちょうどいいことに王晶が投資する計画があったので、話しあいのあと、すぐに《日與夜》の撮影を開始した。


本来、呂筱華の脚本は天水圍ではなく、[艸/全]湾を描いたものだった。しかし許鞍華は《夜與霧》を撮ろうとしてすでに天水圍について詳しくなっていたのと、天水圍には片親の家庭が多く、独居老人も多いのを知っていたので、《日與夜》の物語を天水圍に移しても問題はないと考えた。《日與夜》撮影後、電影節で上映し(2008年3月)、反応は悪くなく、出資人の王晶と許鞍華は続けて仕事をすることになり、そこで初めて完成していなかった《夜與霧》の脚本を取り出した。思ってもみなかったことに王晶は脚本がよく出来ているといった。許鞍華は「本当に運がよかった」という。
《日與夜》は上映後の反響もよく、評論家はこの映画はここ数年の香港では見られなかった心温まる、香港映画のスタイルを持った作品だと評した。さらに《日與夜》は、香港映画が自らの行く道を見つけたという意味において、今年の金像奨でも大きな注目を集めた。しかし許鞍華は「《日與夜》の撮影方法はただこの作品にふさわしかっただけで、これが本当の成功だとは思っていない」という。したがって許鞍華は《夜與霧》では、以前のスタイルに戻り、リアルで残酷な生活を映し出している。彼女の言葉を借りれば「原型に戻った」ということになる。


多くの評論家は、許鞍華と杜[王其]峰(ジョニー・トー)は同じように香港映画を保守している代表だと認めている。しかし許鞍華自身はそのようには思っておらず、「もし合作映画のオファーがくれば撮るし、もし大きな資金があれば、それはもちろん嬉しい」と話す。実は、許鞍華は、かねてから香港の歴史映画を撮りたいと思っている。歴史映画には大きな資金が必要だ。それに物語は文芸作品で、カンフー映画のように海外に売れることは難しい。ここ何年この計画はただの思いだけで、いまだに実現していない。


現在は(大陸との)合作が盛んだ。香港の監督はみな大陸へ行っている。許鞍華は「たとえば、私に1億くれるなら、私のギャラは高くなるでしょう。監督は大きな投資に心を動かされます。私が撮った《日與夜》のように、資金が少なくても撮れないわけではありませんが、あちこちへ行って手助けをお願いしなければなりません。気分もあまりよくありません。友人たちが喜んで手伝ってくれたとしても、スタッフには出来る限り高い給料を支払いたいと思います。もし大作なら、彼らの収入もよくなります。長期にわたって、みながお互いを頼って助け合っているというような状態は、結局のところいいことではないのです」。by 2009.4.23「ent.sina.com」

許鞍華はことあるごとに、最初に《夜與霧》があったと話している。2007年にそろそろ《夜與霧》を撮影すると話しており(註:id:hkcl:20070522に記事あり)、その時のキャストは林嘉欣(カリーナ・ラム)と任達華(サイモン・ヤム)だったが、出来上がった映画は張静初(チャン・ジンチュウ)になっている。彼女の方がこの役には相応しいと思う。また《夜與霧》はフィルム撮りだったため、より多くの資金が必要で、資金集めが出来なかったと別のインタビューで話していた。