「李小龍2010」

黄耀強、羅卞、李[火卓]桃、何思穎出席:黄耀強、羅卡、李焯桃、何思穎 
於:香港科学館(香港國際電影節)
2010.4.4


今年の香港國際電影節の特集の一つ。李小龍ブルース・リー)についての座談会。時間が経ってしまったので、覚えていることを。

  • 70年初め、李小龍は無線電視「歓樂今宵」でジークンドーを披露して注目された。この放送の翌日には、学校ではすべての生徒たちが昨晩のテレビの出演者(李小龍)につて話していた。武術をする同級生は、李小龍功夫の英雄だとみなしていた。(何)
  • 李小龍映画は評論では評価されておらず、どこかの映画賞を貰うこともなかった。藝術的に評価されなかったが、人々は熱狂的に支持した。《精武門》など、文戲(ドラマ部分)になると映画館ではトイレに行く人や歩き回る人がいたが、一旦アクションシーンになると観客は席につき熱心に見入った。(何)
  • 留学中のイタリアで李小龍映画を見た。イタリア語に吹き替えられていた。(何)
  • 70年代、映画を勉強している身としては、自身の中では葛藤と矛盾があった。(映画を学ぶ身として芸術的に評価されないものが大好きだということに対する矛盾:これはたぶんあらゆる評論家といわれる人たちに等しくある矛盾だと思う)(何)
  • 李小龍映画は第三の映画。第一はハリウッド映画、第二は芸術映画、そして第三はこれらに属さない映画。第三の映画はこれらの映画が表現できないものを表現している。そして李小龍映画は第三の映画と位置づけられる。アメリカでは、李小龍映画を熱狂して見たのは、黒人やラテンアメリカ系の人や中産階級以下の人だった。李小龍が倒すのは日本人やロシア人である、アメリカ人でなかった。普段は頭をたれ、おとなしい人が怒りを溜めた結果、爆発する。《精武門》の英語タイトル《FIST OF FURY》のFURY(激怒)の意味そのもので、発展中の国や地域の人びとも熱狂した。(何)
  • 《人海孤鴻》は厳しい評論家も評価している。張徹も褒めている。チャチャを踊る李小龍の身体言語について欧米でも褒めている。
  • 李小龍にとって映画は副業、彼の本業は武術家である。自らの哲学を広めるために映画を撮った。これが他の功夫映画とは異なる点。(黄)
  • 彼の印象だけが世界に伝わっていった。Hip Hopやインドのカンフー映画にも大きな影響を与えた。
  • 李小龍の死について質問され:死因は重要ではない。人は誰でも死ぬのだから。生きている間になにをしたのかが重要だ。(黄)
  • 石堅はある時、自分と李小龍を比べ自分は体力があると語っていたが、実際のところ李小龍は俳優として映画に出演する以外に、毎日練功(カンフーの鍛錬)をしアクションシーンをつくるなど、石堅より遙かに忙しかった。
  • 練功でつねに自らの限界に挑戦していた(体力の限界に挑戦していた)。