《西游》共同監督・郭子健:周星馳は冷酷でお金の話はせず

周星馳作品。
《西游・降魔篇》はプロモーションの期間に入って以来、一貫して「周星馳作品」「監督周星馳」を売りにしている。知っている人は少ないかもしれないが実は監督はもう1人おり、それは《打擂台》を撮った新人監督の郭子健(デレク・クォック)だ。現在「身を隠している」郭子健は香港の事務所で取材を受け、自分は監督として《西游・降魔篇》の脚本、撮影にあたったが、映画プロモーションが周星馳チャウ・シンチー)だけを打ち出していることについては、以前から心の準備はできていたと話した。

撮影を降ろされたことはない。
《西游・降魔篇》に注目していた人は、初期の《西游・降魔篇》プロモーションでは周星馳プロデュース、郭子健監督だったということを記憶していると思う。しかし撮影が終わってみると、郭子健の名は《西游・降魔篇》のプロモーションからは消えてなくなってしまった。このところ配給から送られてくる各種ポスターには、ただ「周星馳作品」の文字だけが記されているし、彼はプロモーションにも姿を現していない。
先日、まるで「無声」状態の郭子健を香港で取材した。郭子健は《西游・降魔篇》の初期のアイデア段階からすべてを具体的に動かしており、「すべて僕がやった。脚本も一緒に考え、長い時間話し合いをした。彼は毎日のように新しいアイデアを思いつき、僕にもアイデアを出すようにといい、半年以上の間、毎日会議をした」と話した。また郭子健は、撮影についても最初から最後まで自身が行い、巷でささやかれているように途中で降ろされることもなかったという。「僕は毎日先に撮影現場に行った。周さんは僕より少し遅れてやってくる。まるで学校で生徒が何かをやってみて教師に見せて、教師は生徒がやったものに少し意見を加えるというような感じで、周さんは先生だった」と話した。郭子健は《西游・降魔篇》の準備期間1年、撮影3か月、編集の最初の部分に参加し、自分は《西游・降魔篇》の監督であり、執行監督でもなければ企画者でもない、僕たちは「共同監督」といえるだろうと話した。
プロモ―ションでは「身を隠している」郭子健は、ポスターができあがる前に周星馳の名前がセールスポイントだという事はもちろん分かっていた。「彼は直接は言わなかったが、間接的にスタッフを通して話は聞いており、それはいいと思った。それに僕はちょうど新作を撮らなくてはならなかったので、プロモーションは周さんでいったらいいんじゃないかなと思った」。観客が映画のタイトルロールにある「共同監督・郭子健」に気がつかないかもしれないということについては、気にしてないという。

麺を食べるにも戦いだ。

周星馳と一緒に仕事をした少なからぬ人は彼に対して恨み言を言っている。仕事を始める前に映画界の多くの人から周星馳はどんな人かということを聞いていた。しかし自分にとって大切な事は周星馳がどうやって映画を撮るのかを学ぶ事だったので、心の準備はできていた。
「仕事をする前には嫌われたらどうしようと考えたこともあった。仕事をして分かったのは周さんは大きな子供だったということだ。彼は他人の感情を気にしない。多くの人は、彼と仕事をすることは損じゃないかと心配したが、僕は自分の心理状態を上手くコントロールできたと思う」。彼は周星馳とギャラについて特に話をしなかったという。「お金の事について僕たちは本当に話しをしていないし、たとえ彼が支払う金額が多かろうと少なかろうと僕は仕事をしたと思う。彼が冷酷な人だというのも聞いている。じゃあ、あなたはその冷酷な人とお金の話をしますか? 幾らぐらいかなんて計算しなくてもいいですよ。考えているよりはずっと多いと思いますよ。もしあなたが本気で武術を追究しているなら、自分の師傅があなたに対してどんな態度を取るのかを気にかけることはないでしょう。師傅はなかなか難しい人が多いですし、さらにその中の幾人かは世界中で最も嫌な人たちだと思います。しかしこの嫌な人たちに我慢できたら、本当に得難いものを手に入れたといえるでしょう。
郭子健はほぼ毎日のように「もう我慢できない」という考えがよぎったという。周星馳が彼に与えた最大のプレッシャーは、彼が半日近く話をすると周星馳はずっと彼を見つめていて、そして一言「どうして?」と問うことだったという。しかしついにはそれも絶えられるようになった。またある時は周星馳と戦ったという。「僕たちは一緒に雲呑麺を食べに行った。彼がいろいろ注文してこれは僕のだ、お前はお前で頼めという。それで僕が注文する。僕が食べているのを見て、自分より多いと彼は不満で、さらに1つ多く頼むんです。毎日こんな感じでした」。
by 2013.1.25「新浪娯楽」

ま、修行したということですね。