一代宗師(グランド・マスター)

《グランド・マスター》
梁朝偉トニー・レオン)、章子怡チャン・ツィイー)、張震チャン・チェン) 
王家衛(ウォン・カーワイ):監督


詳しい内容は日本語公式サイトへ。ただし、公式サイトの物語説明はなんだか別の映画のような気が・・・。
注意:以下映画の内容にかなり触れネタバレになると思われるので、知りたくない人は読まないようにお願いします。
香港で3回見たのだが、少し前の事で記憶があやふやなところもあるが、気がついた範囲で日本公開版(国際版か?)との違いを述べておこうと思う。(以下記憶に頼っているので間違いがあるかもしれない。その場合はご指摘ください
中国武術の知識がまったくない人のために、タイトルより前にイラストを使った南北の流派についてのごく簡単な解説が挿入されている。気になったのは、香港版を見た時には、「南北を統一するものをグランドマスターという」というような強権的な物語展開はなく、もっと散文的に、武林(武術界)に対する王家衛の憧憬と尊敬とロマンティックな感情の吐露を強く感じたが、それは《一代宗師》の当初の英語タイトルが「The Grandmasters」と複数であることからも分かると思う。しかし今回は冒頭から物語りを作っていくように設計されている。
冒頭のシーン、台詞は「功夫両個字、一横一直・・・・」と同じだが、画面が違うように思うのだが。これはかなり不確か。
父・宮寶森の復讐のため、宮二=宮若梅(章子怡)が馬三(張晉)を駅で待つシーンで、老姜=宮寶森の弟子で侍従的役割の猿をつれている男(尚鐵龍)が駅舎から外へ出て雪の中で馬三を待つシーンがカットされている。ここは劇中唯一、長いと感じるシーンで、長い時間待つという状況を説明するために長くなっていたのだろうとうと思うが、カットしてすっきりした感じがする。
葉問が香港にやってきた後、一線天(張震)が食べ物屋のドアを開けて外に出るというシーンが追加されている。このシーンは宮二と一線天のすれ違いを暗示するシーン。王家衛的には一線天、宮二、葉問で無償の愛の三角関係を作り上げるには、一線天と宮二の関係の補強が必要と考えたのだのだろう。
丁連山(趙本山)と葉問がテーブルを挟んで対峙するシーンがカットされている。唐突で分かりにくかったのでカットして好かったのではないか。
宮二が子供の頃を回想するシーンは、雪の中の宮二の演舞にモノローグがかかる。子供時代の宮二が登場するが、子供のシーンはもっと短かった(もしくは無かった)のではと思う。
葉問と李小龍(と想像される子供)との関係が付け加えられている。子供を指導する場面は無かったと思うので、ここは海外マーケットを意識して付け加えたのだろうと思う。
宮二が亡くなったため、老姜が宮二の遺品を持って葉問を尋ねるシーン(葉問が宮二の弔問に行くと遺品を渡される)がカットされているのではないかと思う。
その代わりに最後に葉問の大サービスカットがかなり長く加えられている。
あと、これは劇場と私の座った位置の問題かもしれないが、香港公開版の方が全体的にアンダー気味(特に室内)だったのに対して、画面が明るく感じ、多少重厚感に欠ける気がした。
こんなところではないかと思う。


香港版では章子怡がかなり目立つ位置にあったものが、日本公開版では上手く主役を梁朝偉にシフトさせていた。また、香港版は先に書いたようにまとまりには少し欠けるが、王家衛独特の散文的ロマンティックな情緒に満ちた作品だったと思う。今回見た版は、物語を成立させより分かりやすくするために多少の足し算や引き算をしたという感じだ。
王家衛はアーティスティックな監督だと言われているが、けしてそれだけではなく、アートがマネーになる事を知っている監督だ。香港版と日本公開版の両方が見られた事は、その王家衛の商業的な考えが透けて見えて非常に面白かった。
もちろん日本公開版が悪いということはない。個人的な好みから言えば、少々とっちらかった香港版が好みだが、日本版は、これはこれで成立している。もう1回は必ず劇場で見ることになるだろう。
2012.5.20@シネマート六本木(試写)


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