香港の少年野球事情

今香港では新人監督・陳志發による《點五歩》という少年野球をテーマにした映画が公開されている。日本ではポピュラーな野球だが香港での認知度はかなり低い。プロリーグがないので、野球を観た事のない人も多く、まして野球をやったことのある人はほんのわずかで、ルールを知っている人も少ない。野球認知度が低いのは、香港がイギリスの植民地だったことに関係しているのかもしれない。


《點五歩》に登場する少年野球チーム沙燕隊(英語名:Martins)は、香港少年棒球聯盟(Hong Kong Little League)に所属しているチームだ。映画は1980年代の話で、その当時の詳細は分からないが、在香港時に勤めていた会社が香港少年棒球聯盟に多少関係していたので、2004年から2013年ごろに見聞きした香港少年棒球聯盟のことを中心に香港の少年野球事情を少し記しておこうと思う。


香港では野球に関する組織は、香港少年棒球聯盟(Hong Kong Little League)と香港棒球總會(Hong Kong Baseball Association)の2つがある。香港少年棒球聯盟はアメリカ人や日本人が中心になって1972年に成立、1980年ごろに初の香港人チームが参加したという。今も日本人やアメリカ人が中心になっている。香港棒球總會の成立は1992年で、こちらはもっぱら香港人が中心で、規模も香港少年棒球聯盟より大きくなっており、政府の助成金も出ていると聞いている。


香港少年棒球聯盟は年齢別にマイナー(小学校低学年)、メジャー(小学校高学年)、ジュニア(中学)、シニア(高校以上)に別れており、それぞれがリーグ戦を行って優勝を決めている。年によって少しの違いがあるが、マイナーが12チーム、メジャーが10チーム、ジュニアが6チーム(シニアは参加者なし)で各チームに10人以上の選手が所属し、全28チーム、300人以上の子供たちが参加している。日本人チームは8(マイナー3、メジャー3、ジュニア2)あり、在港の日系企業がスポンサーになりサポートしている。その他にアメリカ人、香港人、韓国人チームがあり、ほとんどは保護者がスポンサーになっている。


香港の学校は9月が新学期のため、リーグは10月から翌年3月を1シーズンとして優勝者を決め、5月にアニュアルバンケットを行って表彰している。選手たちは主に土曜日に練習し、日曜日にリーグ戦を行っている。日本人チームは、主に駐在員の子女(ほとんどいないのだが女子も参加可能)が参加しているため、保護者の帰国もしくは他所への転勤で、シーズン中も選手の入れ替えがある。なかには野球がしたいという子供の希望で父親だけが先に帰国、母親と子供はシーズン終了まで(つまりは学期の終了まで)香港に留まる例もあった。


2013年時点で香港少年棒球聯盟は、沙田の多石と獅子山隧道近くの2か所に専用グラウンドを持っていたが、3リーグがリーグ戦を行うには2か所では足りず、その他は康文署管理のグランドなどを借りて、練習や試合を行っていた。また香港の法律で12歳以下の子供は1人で外を歩かせることができないので、グラウンドまでの移動には日本人チームはバスをチャーターし保護者が一緒に搭乗して引率した。香港人アメリカ人は保護者が引率して自家用車や公共交通機関をつかってやってきた。グラウンド周辺には自販機もコンビニもないところが多いので、弁当や水分は各自で用意、救急用品なども保護者が持っていった。また各チームの監督、コーチ、リーグ戦の運営や試合の審判、結果のまとめは、保護者がボランティアで行っている。とにかく保護者の積極的なかかわりなしには子供たちがスポーツを楽しむことは出来ない。これは野球に限ったことではなく、サッカーなど他のスポーツでも同様だった。


香港少年棒球聯盟は夏にはアジア太平洋大会に香港代表チームを送っている。このときもスポンサーを募るのだが、やはり香港人には野球の知名度が低いためなかなか集まらず、アメリカ人や日本人の保護者が走り回ることになっていたようだ。アジア太平洋大会で優勝するとアメリカの本大会に行けるが、残念ながら私が香港にいる間には一度もアメリカに行くことはなかった。また前述の香港棒球總會や中国大陸のチームが参加する大会に参戦することもあったので、選手や保護者は1年を通じてかなり忙しく生活していた。


映画《點五歩》の内容をネットで見ると"band5"の生徒となっているので、中學つまり日本で言えば中・高校生の話しである。実は本来の沙燕隊の話は小学生の話しであるが、これを中・高校生に置き換えているようだ。なお香港棒球總會には、小学生、中学生、高校生、大學生、青年、女子、軟式野球のチームも登録されている。