黄精甫(ウォン・チェンポー/ウォン・ジンポー)

《江湖(ベルベット・レイン)》の新人監督、黄精甫の事が「成報」に載っている。興味深いので簡約を。

黄精甫にとっては、《江湖》が始めてのフィルム映画。ある時、曾志偉が7人のインディーズ映画の監督たちと話す機会を持ったとき、黄精甫はその中の1人だった。その時黄精甫は、自分が作ったVCDを曾志偉に渡した。曾志偉は、それをなかなか面白いと感じ、その後、黄精甫に出資、《福伯》が出来た。曾志偉はさらに、商業映画を撮ってみる気はないかと彼に聞いた。そしてヒーローものか、ラブストーリーのどちらかを選ぶようにといい、そして《江湖》が選ばれた。
2人でやると決まって、曾志偉は誰に演じて貰いたいかと黄精甫に聞いた。そして誰でもかまわないから選ぶようにと強調した。黄精甫は「もし北野武浅野忠信マーチン・スコセッシロバート・デ・ニーロだったら、そりゃいい。だけど、それは話のうえだけだから」と彼は話した。その後曾志偉は、劉徳華、張學友を選んでくれた。黄精甫は、興奮し、緊張した。「ホントにびっくりした。その時は、ただ、いい、格好いいよ。香港にこんな格好いい人はいない」と思った。
30歳を少し過ぎた黄精甫は、すでにデジタル実験映画は撮っていたが、今回が初めての本編。彼は気分が良かったと話す。なぜなら全ての工程は細かく分かれていて、そろぞれ専門の人がいる。自分では何もしなくていい。ただ、監督に専念すればよかった。それに比べ、実験映画は小さい製作単位で、自分で何もかもしなければならない。「前はお茶だって買いにいった。いまは、オーバルティンだって、なんだって選べる」と彼は言う。
新人監督が大作を撮るに当たって、豪華キャストはもちろんプレッシャーだ。しかし黄精甫は違う「プレッシャーは有りませんでした。曾志偉は何も気にしなくていい、ただ監督として本来すべき事をすればいいと言う。それは僕にとって、とても心強く思いました。彼にとっては僕は子供のようなもので、少々ずうずうしい監督で、1人の新人に過ぎません。何も憂慮することはありませんでした」。
黄精甫は言う、「最初スターたちとコミュニケーションを取る方法がわかりませんでした。しかし幸いなことに、劉徳華や張學友は彼らから監督に演技方法やアイディアについて話してくれ、リラックスさせてくれて、トラブルが起きないように現場を指揮ってくれました。一番重要な事はみんなが同じ思いで、監督、俳優、出資者が心を一つにしていけば、何事もうまくいくということでした。したがって撮影の初めからクランクアップまで不服を述べる人は誰もいなかったのです」。
しかしある報道では、現場での人間関係はうまくいっておらず、大スター劉徳華にさえ監督は怒鳴ったといわれていたが、黄精甫がこれを否定した。しかし、礼節を欠いたかもしれない事は認めた。たとえば、劉徳華が監督に「その俳優にはこう演じたらどうかと言ってみては」と言ったのにたして、黄精甫は「いいさ。なら君が行って彼に言ったらどうだ」と言い、それが、この小僧、少し違うぞと思われたかもしれないと話した。
《江湖》撮影では、幾つも困難な事があった。そのなかの一つは、陳冠希余文樂の重要な場面で、これを撮ったフィルムのうち数巻が薬剤によって不幸にも失われてしまったことだ(現像失敗ってことかと)。陳冠希余文樂はこれを知って大変に悔しがっていた。しかし、時間の関係で撮り直すことは不可能だった。しかしこのフィルムを見返してみて、想像力をかき立てる効果があることが分かり、無事だったフィルムも一緒に薬剤に浸した。このような効果は撮ろうと思っても出きるものではない。黄精甫は初めての自分の大作については、特にたいそうな期待は抱いてはいなかったので、自己評価をすれば、85%の出来で、十分に満足しているという。by 2004.5.5「成報」 禁無断転載。