香港映画の不況

いま、香港映画は前代未聞の不況に陥っている。その原因は、同じ監督、同じ俳優、新鮮味のない脚本、さらに海賊版、不法ダウンロードが原因と言われている。これで観客が映画館に足を運ばないのだと言われているわけだ。ところが先日の百老匯電影中心のサロンである人がとても興味深い事を言った。
彼は、香港映画が危機に陥っている最も大きな原因は、草根階層*1やオヤジたちが映画館に行かなくなったことだという。映画が気楽な娯楽で、彼らもかつては映画館によく足を運んでいた。その彼らが映画館に行かなくなった。しかし彼らはけして映画を見なくなったのではない。公開から少したてば、映画館で見るより安い値段でVCDが売られるから、これを買って見ているという。
つまりかつては彼らが、実は香港映画の1部分を支え、重要な客だった。そしてその彼らに向けた映画が有ったのだ。ところが香港映画の重要な支持者であった彼らが映画館に行かなくなったため、彼らに向けたは映画は自然と制作本数が減り、結果として香港映画全体の本数も減ってしまったという。
さらに他の人は、「新」と付けばなんでもいいと思う風潮は間違っているのだと。これは明らかにハリウッドからの受け売りで、「新しい」=「いいこと」という考えは必ずしも正しくないという。
かつてばかばかしいといいながら死ぬほど見た、B級映画、C級映画。10年一日のごとき、黒社会ものや警察もののストーリー。といっても中にはとても面白いモノもあって、拾いモノもいっぱいある玉石混合だった。これらの映画は粗製濫造として、悪いことのように言われ続けていた。しかし彼らは、それは違うというのだろう。これら映画にも存在価値があり、そしてむしろこれらこそが香港映画を支えていたというのだ。草根階層向け、そしてオヤジ向けの映画が、実は香港映画そのものだったというのだ。これらが無くなった結果、今制作されているのは、綺麗綺麗な中産階級向けの映画ばかりだという。
この意見は私には目から鱗だった。私も「新しい事」=「いいこと」概念に縛られていたのかも知れない。そして、そんなオヤジ向け映画を妙にいとおしく思っていた事も忘れしまっていたかもしれない。
確かに香港に通い始めたころ、旺角の南華や金声、銅鑼灣の南洋あたりはオヤジの巣窟だったし、恐くて近づけない雰囲気さえ醸し出していた。何時の頃からか(たぶんショッピングビルに映画館が入り、ショッピングビルの映画館では、早場や4時の回にエロ映画をやらなくなり、1日中同じ映画を掛けるようになった頃からじゃないかと思うが)、綺麗な映画館ではオヤジの姿を見なくなっていった。さらに、何の映画を見るでもなくふらっと映画館にやってきて、とにかく掛かってる映画を見るというオヤジ客も少なくなっているような気がする。私がよく行く旺角の百老匯など、以前はオヤジの姿も見たが、最近では若者ばかりでオヤジの姿はまったくといっていいほど見なくなってしまった。
以前「南華」で《紫雨風暴》を見た時など、まわりは全部オヤジ。煙草は吸うわ、画面に向かって突っ込むオヤジはいるわ、どんでもない状態だったのを思いだした。オヤジたちにとっては、新しかろうがなんだろうか、とにかく映画館で映画が見られればいいのだ。1時間半、45ドル(古い映画館は安い)払って、45ドル分満足して、それなりに時間がつぶせればいいのだ。でもきっとオヤジの目は違った方向にオヤジの基準で肥えているような気がするのだが(笑)。
オヤジを満足させる映画を撮って、「オヤジを映画館へ呼び戻せ」作戦を展開した方が、香港映画を救えるのかもしれない。

書き忘れていましたが、警察モノ、ヤクザ映画、さらに大バカコメディもこのジャンル(「オヤジ好み映画」とで名づけておきましょう)加えておきます。

*1:低所得者というとかなり所得が低そうなかんじがするので、ブルーカラーといった方がいいか?中産階級ではない人々のこと。いま日本は誰もが中産階級だと思っているので、この概念は分かりにくいかもしれないが、この草根階層は政府が造った団地住む香港人たちと思ってよく、明らかに香港における大衆だ