陳木勝(ベニー・チャン)

「分かれ道」の知恵者、陳木勝

・ハンサム監督?
香港の映画界には以前からハンサムな監督がいると言われている。それは葉偉信(ウイルソン・イップ)*1。新作《三岔口(ディバージェンス)》の監督・陳木勝(ベニー・チャン)もその例にもれない。その瞳はキラキラと輝き、ごま塩の髪に、足にはスニーカー。見た目は「中年馮徳倫スティーヴン・フォン)」といったところだが、落ち着いて、文学的な香りがし、文芸映画の巨匠のように見える。
しかし実際はその逆だ。彼は文芸作品は撮らない。1981年TVB入社に入り、最初の仕事《大内群英》から24年、一貫してアクション映画を撮っている。当時TVBにいた李恵民(レイモンド・リー)、麥當傑(マイケル・マック)、査傳誼(チャー・チュンイー)らが彼に与えた影響は特に大きい。
「当時テレビ局の製作室には『ぶっころしてやる』『たたきのめしてやる』と大書した紙が貼られていた。同僚たちは疲れはて、床や机で眠っている。まるで戦場のような雰囲気で、新人の僕はびっくりした。強烈な闘志を持った人たちを見て、僕は彼らの「真剣さ」をくみ取ろうとした。それが僕には忘れられないことであり、自分もそうしようと考えた」。
・警官の影響
先輩以外に後の彼のスタイルに影響を与えたのは、警察官だ。
「僕は小さいとき、政府管理の住宅*2で大きくなった。環境や治安は悪く、たくさんの警官がいた。つまり「PTU」が警邏していたわけだ。*3彼らは今の警官よりも偉そうだった。列を組んで巡回する姿は格好良かった。それに彼らは悪いヤツを捕まえて、彼らは正義感に溢れていると思っていた。大きくなったら警察官になろうと思っていた」と言う。
ボーイスカウトと民安隊*4を経験した彼は、中学を卒業すると*5、テレビ局に入った。警察の夢は映画の中で実践され、《衝峰隊怒火街頭》、《特警新人類》1&2、《双雄》、《新警察故事》などの警察モノを撮影した。これらのアクション映画を見た観客は、彼の特徴、つまり爆破を見つけることができるだろう。我慢できずに彼に聞く「どうして毎回アクション映画には大爆発の場面があるのか? 実際の香港ではこのような状況はほとんど起こらないが」。
「ひとりの商業監督として、社長に説明しなくてはならない。爆破場面はアクション映画の緊張をより強め、観客も官能的で刺激的に満ちあふれた爆破場面が好きだ。さらに撮影では、プロダクションバリューを考える。どれくらいの爆破場面なら人々が真剣に撮影していると感じるかということを考るんだ」。
彼はこれまで多くの爆破場面を作ってきた。中でも彼が最も印象に残っているのは、アメリカで《特警新人類》の為にほぼ住宅の1階ほどの高さのコンベンションセンターの模型を爆破させたときのことだという。炎が各々の窓から2メートル近くも伸びて、彼は体内の血が沸き上がった。
・岸西にはおわびを
陳木勝の新作《三岔口》は、かつての作品とくらべると、アクション場面は少なくなっている。彼が撮る警察モノでは、すでに撮るものは撮ってしまって、もう撮るものがないのかと思ってしまう。彼は文芸作品で知られる岸西(アイヴィー・ホー)と組み、内面を捕らえようとしている。アクション映画を撮る前には、その映画の特徴だけを考えるため、アクション場面とストーリーの両方を考えることはできず、取捨選択の末、ストーリーを作り込むことを放棄して、アクション場面の刺激的効果に多くのフィルムを割くようになっていった。しかし今回は、物語に精神を集中させ、彼の規則(彼の作品の多くは、ある事件からストーリーが始まる)に反し、基本に立ち返り、3人の人物の背景を探り、表面から始まって、それぞれの人物の深層心理まで表現した——郭富城(アーロン・クオック)は修養のたりない刑事、呉彦祖ダニエル・ウー)は良心のある殺し屋、鄭伊健(イーキン・チェン)は、真面目そうに見える弁護士、3人の間には微妙な関係がある。
話を戻そう。アクション映画の監督に文芸作品の脚本を加えたら、その行き先は正反対。合作にはどうしようもないことが発生するのは疑いようがない。
「岸西は多くのことは簡単にはいかないと分かっていた。僕も同じように分かっていたが、キャラクターの心の中に鋭く入り込むことで、観客がよりそのキャラクターを理解できればいいと考えていた。結局は思いきりがよくなく、僕が淡々とした文芸作品を撮るというような、大きな路線変更をすることはできなかったが、今回は僕にとっては新しい試みだった。僕は商業映画の監督だ。商業映画はカルトフィルムや芸術映画とみなされるものを撮るわけにはいかない。彼女の描いた人間関係はすばらしいものだった。しかし今回は惜しいことに、すべてを物語りだけで撮ることはできず、やはりアクションを差し込むことしかできなかった。この点は岸西にもうしわけないと思っている」。
・分かれ道で選択を教える
いまの話で分かるように、彼ははっきりした思いや基準があり、目標に向かって真直ぐに進んでいく。彼はそれと同じような思いを《三岔口》に込めている。《三岔口》には2つの意味がある。第一は、京劇の題名、暗闇の中、危機が迫って危ない中で、冒険をおかし戦うという意味、第二は、人は人生の中分かれ道に立ったとき、どうやって選択するのか。そしてどれが正しいのか。
「一番大切なことは目標をはっきりさせること。毎回分かれ道では、様々な誘惑がまっている。たとえば、月2万ドルの給料だが、他の会社では君に4万ドルやるという。そうすると自然と利益にごまかされてしまう。それが原因で多くの人が足を踏み外す」。
彼はかつて分かれ道で間違った選択をし、結果、ぼろぼろになったという。
「《特警新人類》を撮ったあと、僕は映画会社を作った。2年間、実質的には仕事は何もしなかった。プレッシャーが大きかったからだ。ただ《願望樹(ファイナル・ロマンス)》(その年の興業成績ワースト10に入っている)をプロデュースしたにすぎない。これはいい教訓だった。当時、僕は財政管理を知らなかった。さらに会社の運営が分からなかった。最後にやっと自分は映画監督をすることが一番なのだと分かった。そんなに欲張ってどうするんだと考えた。ある分かれ道が僕に気付かせてくれたんだ。もう少しで過った道に行くところだった」。
先日、《三岔口》はチャリティープレミアを行い、評論家たちに正しい評価をもらった。陳木勝が路線変更したことは正しいと評価された。今回の、新しい試みは成功した。彼は分かれ道で正しい道を選んだのだ。by「milk」195号 禁無断転載

陳木勝は、実は成龍ジャッキー・チェン)に、アクションだけではない役をさせようと、すでに前作《新警察故事》から、路線変更途中にあると思われる。この路線変更は、アクションだけやっていればいいという時代は終わったということだろう。
個人的には《三岔口》にはかなり厳しい評価をしているのだが(id:hkcl:20050430#p1)、もしほんとに、アクションと物語りがすばらしい融合をみせてくれば、まったく違った香港アクション映画が出来上がるかもしれない。誰がそれをやってくれるのか、わくわくしながら待ってみたい。
なんか訳に時間がかかってしまったが、訳し終えてすっきり。インタビューという項目を作ったので、今後は面白いインタビューを拾っていきたい。

*1:ハンサムなお顔はココのちょっと下の方に。

*2:現在の屋邨ではなく、以前にあった住宅の形式で、低所得者向けの住宅のこと

*3:杜[王其]峰の映画《PTU》に登場するベレー帽をかぶった警察官たちが警邏する場所だったという意味。「PTU」の漢字の訳が機動部隊などとなっているため、日本の機動隊と間違ってしまう人がいるようだが、かなり違うように思う。

*4:正式には「民衆安全服務隊」。銃は持たず、救助や保安を主な任務とする組織。詳しくはココを参照。

*5:香港に高校はない。中学が7年。5年までいけば中学卒業。5年から6年にあがる時に試験があり、2年は大学予科になっている。