新・傾城之恋2005

《新・傾城之恋2005》
梁家輝(レオン・カーファイ)、蘇玉華(ルイーザ・ソー)、劉雅麗(アリス・ラウ)、毛俊輝(フレデリック・マオ):芸術総監督


香港からやってきた英国帰りのキザな商人・范柳原と、上海の名家の出戻り娘・白流蘇の恋を、上海そして陥落前後の香港を舞台に描く物語り。
張愛玲(チャン・アイリン)の「傾城之恋」といえば、許鞍華(アン・ホイ)監督、周潤發(チョウ・ユンファ)、繆騫人(コラ・ミャオ)の同名の映画をまず思い出す。かなりの部分を忘れていたので、映画の方も見直してみた。台詞、設定などほぼ同じだ。もっとも違うのは、白流蘇と范柳原の性格付けと、舞台版だけに登場する歌い手(劉雅麗)の役割。場面と場面の間に登場する劉雅麗は、語りの役割と、物語のキーワードを強調する役割を担っていて、彼女の歌と踊りが、ドラマにめりはりをつけている。
映画《傾城之恋(傾城の恋)》では、繆騫人演じる白流蘇は、かなり受動的な人物として描かれていて、台詞まわしも大人しい。周潤發演じる范柳原も自由で享楽的というより刹那的と受け取れ、映画全体にも頽廃な雰囲気が感じられる。「新・傾城之恋2005」では、蘇玉華の白流蘇は、より快活で台詞も感情豊か、梁家輝演じる范柳原は、周潤發のそれが"陰"だとすれば、やはり"陽"の傾向を感じた。


許鞍華は張愛玲の《半生縁》も映画化しているが、こちらも雰囲気は《傾城之恋》に近いと思っていたので(1度しか見ていないので、印象しか覚えていないが)、これが許鞍華の張愛玲作品に対する感じ方なのだろう。
また、映画の方は「戦争という事態が恋を成立させた」という解釈が全面に出ているが、舞台の方は、台詞に登場する「生死契闊、與子相悦、執子之手、與子皆老・・・」という詩経のある詩をキーワードとして使い、劇中、歌でもこの言葉が登場する。さらに最後の上海の場面は映画には登場しないもの(小説の方は、日本の家にあるので確認出来ず)。
舞台は映画と比べられることを考えただろし(映画は1984年、舞台の初演は1987年、2002年版から歌と踊りの要素をプラス)、映画と同じ演出では、舞台としては面白みに欠けるだろう。主演の2人はもちろん好かったのだが、「劉雅麗を見た」という印象が残るほど、彼女の存在感が強く感じられた舞台だった。2005.8.31@香港演藝學院