霍元甲(SPIRIT)

李連杰ジェット・リー)、中村獅童、董勇(ドン・ヨン)、鄒兆龍(コリン・チョウ)、孫儷(ベティー・シュン) 于
仁泰(ロニー・ユー):監督
霍元甲についてネットでちょっと調べてみると、

霍元甲清朝末の人。1868年、天津の西の郊外の生まれ。父(霍恩弟)は武術にすぐれ、保[金票](ボディガード、物品の運送に関するものを主とする)をしており、武術界では名の知れた人物だった。
霍元甲は子供の頃身体が弱く、よく虐められていたが、父は彼に武術の練習を禁じ、勉強するようにいっていた。しかし本来きかん気だった霍元甲はひそかに武術を練習していた。

《霍元甲》ということらしいので、映画のストーリーの初めはほぼ史実どおりなのだろう。後半は不明。
子供の頃弱かった霍元甲は、いまや武術を身に付け、強いことが一番と考えていた。尊大な霍元甲は相手を思いやる心を持ちあわせていなかった。感情にまかせ力にまかせ間違いを犯し、友情も家族も失い傷つき、自信をなくし放浪する。田舎の素朴な生活で自分の間違いに気付き、武術は身体を鍛え、心を鍛えるものという真理を会得する。
ストーリーは単純。そして映画は、まさに李連杰のオレ様映画だった。子供と戯れる李連杰、強い李連杰、尊大な李連杰、失意の李連杰、放浪し髪も延び放題な李連杰、とにかく李連杰が満載。そりゃファンにはたまらないものかと。
尊大な大盤振る舞いの李連杰は見なれないので、初めは違和感を感じる。しかしインタビューなど見ればわかるように、ご本人わりと早口でよくしゃべる。この場面は実は嫌味なぐらいぴったりで、憎らしいこときわまりない。
しかし映画全体として見ると、あまりひねりもなく、ひっかるところもなく、さらっと流れてしまって、ストーリーに深みが感じられない。それは李連杰の演技力の問題なのか、脚本の問題なのか? 
成龍ジャッキー・チェン)が《新警察故事(香港国際警察)》で、やはり失意の警察官を演じるも、どうもしっくりこなかったように、自らを見失った李連杰が立ち直る様が今ひとつ切実さを持って描き切れていないように思う。山村の盲目の娘との交流も不足気味だし(映画の中の李連杰が恋愛をするのは禁じ手なのかもしれないが)、この1番大切な部分の心の動きがもう少し丁寧に描かれていたら、後半がよりはっきりと意味を持ってくるのではないかと思う。
と同時に、オレ様映画なので、上記の山村の娘もそうだが、脇役が十分に機能していないように思う。それも深みが感じられない理由の1つ。もったいない。人間の心の動きは微妙、それをより細やかに丁寧に描いて欲しかった。
エンドロールで流れるのが、周杰倫ジェイ・チョウ)の主題歌だが、案の定、皆さっさと席を立って帰って行ってしまうので、誰も聞いていない。なお映画の言語は北京語。
2006.1.27@旺角百老匯


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