断背山(ブロークバック・マウンテン)

断背山ヒース・レジャージェイク・ギレンホール 
李安(アン・リー):監督


1963年の夏、ワイオミングから始まる2人の男の長年に渡る物語り。
映画のタイトルの「断背山」はある場所の名であると共に、「ある感情」を指すのだと思う。スクリーンに写る風景を見てもわかるように、断背山は世間から隔絶された場所、天国とでも桃源郷とでも、世界の外れともよんでいい、とてつもなく美しい場所だ。そして実にシンプルな生活。その場所を知ってしまったものは、下界へ降りたあとには、苦痛が待っている。しかし自分を飼いならし、下界に合わせていかなければならない。いつか再び「断背山」に登る日を夢見て。


2人の間におこる感情を「同性愛」とか「ゲイ」と言えば理解しやすので、そういうのだろう。しかし映画《断背山》はその山に登ってしまったもの、「ある感情」を知ってしまったものの物語りであって、男と男であろうが女と男であろうが、関係はないのだろうと思う。見て行くと男と男であることはどうでも好くなる。その感情を強調する目的で、1960年代のワイオミングが選ばれ、男と男が選ばれたのだと思うのだ。見終わった後に、とてつもなくやるせない気持ちになる。
細部まで目線の行き届いた画面が、無駄がなく美しかった。
ただ、この映画を素直に1960年代から始まるワイオミングの2人のゲイのカウボーイの話しとして捉らえるなら、もうそのとおりで、疑いようがないと思う。1人は出てきたところで、已にゲイだと分かるし、彼は明らかに男の肉体を欲している。もう1人も罪の意識に深く囚われながら、やっぱりゲイだ(彼らはバイなのかもしれないが)。ふたりが数年振りに出合うところなど、押さえられない感情表現が、男女の恋愛となんら変わり無く描かれている。
また、これを不倫の恋に置き換えてもいい。かつて愛した人がいた。しかし知り合った時にはすでに許嫁がおり、泣く泣く諦めた2人は、いまはお互い結婚し子供もいる。あるとき、2人の愛は再び燃え上がる。許されぬ関係は、密かに長年に渡って続いていった。
さまざまな恋愛(関係)を想像させるということが、すでにこの映画が、人と人のある関係(恋愛といってもいいし、愛といってもいい)についての普遍的な考えを示しているという証左だと思う。


そしてこの映画を見終わったあと、《山の焚火》(フレディ・ムーラー監督)というスイス映画を思い出した。これは人里離れた山の中で起きる姉弟の近親相姦の物語りだ。ここでも「山」「禁断の愛」という2つのキーワードが出てくる。山の上というのは、すでに地理的に下界と隔絶されているだけでなく、人間の心理をも下界から隔絶してしまうのかもしれない。
2006.2.23@旺角百老匯


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