杜琪峰、林嶺東、徐克

左から林嶺東、徐克、杜[王其]峰

香港の3人のTVB出身の監督、杜琪峰(ジョニー・トー)、林嶺東(リンゴ・ラム)、徐克(ツイ・ハーク)は知り合って30年、彼らはこれまでそれぞれが各々の道を歩んで来た。03年香港でサーズが発生、徐克は人と人の関係に危機が訪れたと感じた。街に出るときは誰もがマスクをして、握手も出来ず、サーズで亡くなった友人もいた。彼は身近な人や物事を大切にしなければと思うようになり、みなで団結しなくてはと考えた。ある食事の席で彼は、林嶺東と杜琪峰に共同で監督する映画《鐵三角》の構想を話し、2人はこの破天荒な挑戦を歓んで引き受けた。


杜琪峰の儀侠心、徐克の自由奔放、林嶺東の人間描写、3監督の作風は違うが、一緒に1本の映画を監督した。まず徐克がストーリーを始め、林嶺東が話しを展開させ、杜琪峰がストーリーを解き明かす。撮影時には3監督はお互い干渉せず、コミュニケーションもとらず、おのおの自分のスタッフを引き連れ、同じ撮影期間と同じ制作費で30分の物語を撮影し、それらを合わせて1本の映画にした。3人のまったく異なった監督が《鐵三角》の撮影でつながり、この前代未聞の試みが観客に驚きを与えることになる。
彼ら3人はよい友達だが、初めての合作で、撮影前には各自の主観的な性格が友情に影響を及ぼすのではと心配していた。実際、撮影前の話し合いでは、意見の一致を見ることはなかった。


3監督は先だって銀河映像公司でインタビューをうけた、徐克はまず「3人が喧嘩でもしたら、もし反目したらどうしたらいいだろうか。僕たちは撮影前に6時間も話し合ったが、その間、何一つ意見は一致しない。でも会議では笑いが絶えなかった。話し合いが終わって、最後にこれをするかどうかと聞くと、みなするという、それでそれぞれ勝手にすることになった」と話した。
映画は最初、徐克がまず撮って、2番目の林嶺東は徐克の30分を見てから、この話しをどう進めていくか考えた。難しいところはあっただろうか。林嶺東は「彼は僕に沢山のものを残してくれていた。1つの物語を僕にくれたんだ。1つの箱と何人かの人物をね。それで十分だったよ」と笑った。
2人の監督の物語を見たあと、最後の部分は杜琪峰がまとめることになる。彼はどうやって話しを収拾したのだろうか。「僕が最後の部分を撮るにあたって、何もプレッシャーは感じなかった。最初彼らがどう撮っても、僕の部分で必ずまとめなけらばならない。僕で話しは終わらせなければならない。だから彼らがどう話しを進めても、必ず最後までもっていかなければならない」。
林嶺東は03年監督した《奇逢敵手(スー・チー in ミスター・パーフェクト)》のあと、ずっと休憩状態で撮影を断ってきたが、今回は何故その例を破ったのか?
「当初は引退しようと考えていた。もう30年も撮ってきて、すべて撮ってしまったので、休もうと思っていた。撮影しないでいられるか試してみたんだ。ところがどうしたわけか、徐克が僕に《鐵三角》をオファーしてきた。もしこの3分の1を撮らなかったら、以降は本当に撮らなくてもいいだろうと思った。そして以前の林嶺東はもう存在する必要はなくなった。いま新しくなった僕は、輪廻のあと改名して東嶺林となった。僕は自分がまだ映画を撮るのが好きだと分かったんだ」。隣に座っていた徐克と杜琪峰は、彼が輪廻と改名の話しをするとこらえきれず笑った。


各監督たちはそれぞれ自分のスタイルがある。今回それぞれが3分の1だけを撮ったのだが、他の監督たちが撮った部分について、各々は満足しているだろうか?
徐克:「もちろん満足している。ぴったり1本になって僕も驚いている」。林嶺東:「僕の後を受けた杜琪峰の部分は素晴らしい。見たときには自分は監督でもあり観客でもあると感じた。この経験はいままで無かったことだ。彼がこう撮るとは考えてなかった。僕なら絶対にああは撮らないからね。彼の撮り方は、どんどん次が見たくなる撮り方なんだ。徐克の始まりの部分は、僕に多くの想像する空間を与えてくれたんだ」。
杜[王其]峰:「それぞれの監督は主観的なので、良いか悪いかを判断するのは難しいことだ。撮影前他の監督が撮った部分はもう変えることが出来ないと分かっているし、どうしても終わらせなければならない。足りないことがあるのがこの映画の特色でもある。林嶺東が撮った部分は、以前のような重苦しいものはなく、徐克の部分は活動的で物語を始める者として、物語を引き伸ばし林嶺東に渡している。林嶺東の部分は友情と愛情を語り、さらに深く掘り下げ、僕のところでは、2人は多くのものを僕に手渡してくれていたんだ」。


彼ら3人の監督は芸能界で知り合って30年、同じように映画を愛し、話しの合うよい友人だ。同じ業界にいながら、敵対心はまったくなく、そろどころかお互いに認め合っている。自分の友人のどこを評価しているのだろうか。
徐克:「阿杜(杜琪峰)は生命力の強い監督だ。つねに変化している。かれのすごいところは、つねに作品を世なのかに送り出して、香港の不景気にまったく影響されていないところだ。人も題材の使いかたも一番、他の監督が使った人や撮った事のある題材でも、彼の手にかかればまったく違ったものになってしまう。僕が一番嬉しいのは、こういう監督が香港にいるということだ。彼の作品の中では、《黒社会(エレクション)》《審死官》《放・逐》や《孤男寡女(ニーディング・ユー)》などが僕は大好きだ。阿東(林嶺東)については、彼の特色は爆発力、男っぽさ、彼はロマンティックな題材を撮っても爆発力があるが、観客の琴線に触れて来る。彼は世界の監督の中でもある一定の位置を得てしかるべきだ。輪廻の後は、僕たちに驚きを与えてくれるといいのだが。彼の風雲シリーズが僕は大好きだ」
杜琪峰:「僕と阿東は無線訓練班の時に知り合った。当時彼の撮るテレビはすでに手堅く、この人は撮るものはすごいと思っていた。後にカナダに移民し戻ってきて、風雲シリーズを撮った。以前のテレビの時の痕跡もなかった。さらに彼の優れているところは、俳優の力をめいっぱい発揮させること。僕が唯一嫌いなのは彼が西洋映画を撮ること。西洋映画はまったく彼の世界じゃないからね。それから彼が戻って来て撮った《目露凶光》は僕は好きだ。老徐(徐克)は、テレビの時からすごいと思っていた。彼が撮った《家變》や《金刀情侠》を見てみれば、人がそう撮るところを、彼はそうは撮らないことが分かるだろう。彼の力を持ってすれば、他の監督など霞んでしまう。彼が映画にやってきて撮った《第一類型危険(ミッドナイト・エンジェル 暴力の掟)》では先の見えないような感覚が分かるだろう。彼は場所と俳優を利用する能力が優れている。さらに新しいことに挑んで行く。彼の撮った《蝶變》《蜀山(蜀山奇博・天空の剣)》《東方不敗スウォーズマン)》などが僕は好きだ」
林嶺東:「僕は香港映画史の中で、阿杜と老徐は先に立ってしかるべきだと思う。《十萬火急》から阿杜の撮影手法とクリエイティビリティは大きく変わった。銃撃戦でさえ、俳優をまるで剣豪のように撮ってしまう。しかし不思議なことに彼はいつも同じ題材だし、好みの俳優たちを使って撮るのが好きだ。老徐は創造性が豊かな監督だ。彼の《蝶變》を見れば感嘆するだろう。素晴らしい。彼はどんな思想にもとらわれない監督だ。彼の撮った《黄飛鴻》《東方不敗》は僕も好きだ」。(略)by 2007.10.28「頻果日報」