「我創作所以我存在」

黄修平(左から3人目)。出席:黄修平(アダム・ウォン) 
於:香港城市大学 


城市大学の学生組織が開催する、クリエイティヴ産業に関わる人の話を聞く「The 9th Creative Media Society Industrial Talk 2009」の一環。一般人も講座参加可ということで、行ってみると参加者は30人弱。内容をかいつまんで。

  • 主催者側からの希望は、業界内の事を話して欲しいということだったが、新人監督、さらに映画界には片足しか入っていないような状態で、業界内の決まりやらしきたり等は知らない。最近の新人監督はみなそうだが、業界へ入った経緯もさまざまなので、自分のことだけを話そうと思う。
  • 創作と自分の存在は切っても切れないものだ。
  • 子供の頃から絵を描く事が好きだった。中学生の頃には漫画を書き、アニメもどきを書いていた。さらに舞台劇に参加していた。
  • 中4の夏休みロビン・ウィリアムズの《今を生きる》を見て感動。さらに黒澤明も見た。この時の影響が大きい。
  • 以前はDVがなかったので、簡単に映像を撮ることは出来なかった。監督になるのは夢見るだけだった。したがって、大学でも映画は選択肢になく、中大の藝術系に入った。しかし大学に入って、ますます映画へのあこがれが強くなっていった。そしてさまざまな求職の書類をテレビ局や映画会社に送ったが、駄目だった。
  • このころifva(The Hong Kong Independent Short Film & Video Awards)に応募する作品は、水準も高く費用もかかるものだった。何の機材も持たない自分が応募作品を作るためには、交換留学する以外ないと思われた。そして1年間、アメリカの大学へ交換留学した。その1年間、あらゆる映画に関する授業を受講、作品を作り、ifvaに参加することを目標とした。
  • 96年、学校で初めて短編《アサシン》を撮った時、とても嬉しかった。そして同じく留学生の時に撮った「魚」がifvaで入賞した。その後、撮った《阿偉與婉芳》も授賞、《燦若繁星》では大賞、金賞、脚本賞を授賞した。しかし授賞と商業映画を撮ることはまったく別のことだった。
  • その後、陳可辛(ピーター・チャン)の会社に入り、メイキングを作ることになった。《三更》《金雞》《1:99電影行動》《投名状》のメイキングも作った。
  • そして曾志偉(エリック・ツァン)と知り合い、初めての長編《當碧咸遇上奧雲》の企画に出資してもらった。さらにこの映画の香港亞洲電影節の上映に観客としてきていた梁暁豊(アンジョー・リョン)を知り《魔術男》(id:hkcl:20071007)を撮ることになった。現在は、来年初めから撮る新作の準備中。

講演中に《アサシン》《魚》《阿偉與婉芳》《燦若繁星》(一部分)、《風車》(id:hkcl:20091017)を見る。学生時代に撮った作品もけして退屈ではなく、温かさとユーモアがある。最後に城市大の学生が撮った作品3本のさわりを鑑賞。短いQ&Aなどあり。