「你估我做」

麥曦茵(左)と彭浩翔。出席:彭浩翔(パン・ホーチョン)
   麥曦茵(ヘイワード・マック) 
於:香港城市大学


先週(id:hkcl:20091106)と同じ「The 9th Creative Media Society Industrial Talk 2009」の一環。彭浩翔はほんと話がうまくて面白い。今日は教室がいっぱいになり立ち見も出る盛況。100人以上はいたように思う。覚えていることをいくつか。ほとんど彭浩翔がしゃべっていた。

  • 初めて映像を撮った時の話:以前にも一度聞いている(id:hkcl:20081013)が、母親がどこからかビデオカメラを借りて来て、自分がカラオケで歌う姿を息子の彭浩翔(と兄)に撮らせた。これはとてもひどいものだったので、絶対に2度と撮りたくなかった。次は銀行強盗の物語りを撮った。
  • 深水[土歩]にある電影学院に行き、映画に関することを学んだ。林超榮や林紀陶らが講師をしていたが、映画を撮るには役に立たないと思った。その後19歳の時、亞洲電視に入った。
  • 亞洲電視では脚本部門に所属。脚本を書いて持っていくと、脚本部の長(上司)は最初はいろいろ付け足しているが、そのうち全部に×をつけて裏に新たに脚本を書き始める(それも書きならがずっと◎◎老母と粗口をいいながら)。それを横に立って眺めていた。そのうちだんだん悔しくなって、直されたものを取っておいて、何を付け加えて、どうやって直したのか研究するようになった。だんだんと直されるところが減って、最後には1字も直されなくなった。
  • 映画監督になるにはものを書くことに興味があることが大切だ。物語りを書けることは、いずれ映画の物語りを構築し発展させていにくために必要だ。それに自分で書かないのなら、素晴らしい脚本家を抱えていなければならない。
  • 脚本を書くことより小説を書く方が好きだ。脚本を書いていると、これはCGにお金がかかる、これは大陸の審査を通らない、あの俳優にはこれは無理だ、こんなに場面を変えてはロケにお金がかかるなどと考えなければならない。小説はさまざま制限を考えずに書け自由だ。
  • 粗口(ちょうはう:ぴったりの日本語がない。汚いことば。これが台詞にあるとIII級に指定される)について:粗口は香港の文化の1つだ。ヤクザ映画で粗口がないなんておかしすぎる。《黒社会》なんて、あんなに黒社会の人がいるのに粗口を話さないなんて可笑しい。陳小春が出た《黒勢力》はすごい。小春が粗口を言うと面白いくらい台詞がぴったりだ。粗口には差別用語と捉えられているものもあるが、差別用語を話したからといって、必ずしも差別をしていることにはならない。その後ろに文化がある。
  • 台詞のスムーズさについて:経験のある俳優なら脚本の台詞がこなれていないときは、自分で直したりする。新人俳優ではそれはできないこともある。たとえば《死亡写真》の黄婉玲の台詞で「死亡連想セ[ロ野]」(死亡から何を思い浮かべる?)というのがある。「死亡」「連想」なんて言葉は口ではないわない。《殺人犯》では郭富城が医者に向かっていう台詞が可笑しい。(やはり書き言葉的で可笑しい。DVDがないので確認できず)
  • 映画監督になれたのは、自分がすごいからだと最初は思っていた。でもいまは違う。監督になれるかどうかは出会いだと思う。人に出会う、またはタイミングに出会う。どんなに才能のある人でも出会いがなければ、いつまでも撮れない。
  • 監督になる近道はない。しかし脚本を書くことは比較的近道だ。そして早く自分の作品を作ること。いまは(ビデオがあるから)簡単に作品は作れる。作品をつくれば、自分を知ってもらう機会が増える。

(このぐらいで)