「許鞍華談張愛玲」

許鞍華(右)と呉靄儀。出席:許鞍華(アン・ホイ)、
   呉靄儀(マーガレット・ン) 
2010.02.06@香港電影資料館
許鞍華と同級生で弁護士であり立法会議員で文芸評論もする呉靄儀が張愛玲について語った。あまり語られることのない言語の問題について興味深い内容だった。張愛玲の小説を広東語の台詞にするのは大変に難しい。広東語を国語にするのも難しいというのが2人の共通の思い。覚えていることをかいつまんで・・・。

  • 広東語だけを話していると他の人とはコミュニケーションがとれなくなってしまう。広東語は取り残された言語になってしまうのではと危惧される。
  • 自らの経験から、法廷で書き言葉(国語)から話し言葉(広東語)、またはその反対の翻訳は難しいと思う。(呉)
  • 《金鎖記》(舞台)では、王安憶の脚本を助監督が広東語に直していった。
  • 許鞍華が新しい仕事をするたびに大変心配になる。《金鎖記》(舞台)はやはり台詞に問題ありだと思う。ただウイットに富んだ会話はよい。(呉)
  • 小説《半生縁》は嫌い。出てくる人々や物語が大変奇妙だ。姉が妹を軟禁したり、そこから逃げ出したり、家族の形態も可笑しい。結局何がいいたいのかよく分からない。しかし許鞍華が撮った《半生縁》は好きな映画だ。映画全体に”無奈”(しかたがないという感情)な雰囲気がただよっている。《半生縁》は東欧の世界に近いと感じている。(呉)
  • 張愛玲の見た香港は、外省人(彼女から上海から香港へやってきた)が見た香港の姿だ。
  • 上海人は香港でも独自のコミュニティを作っていて、香港でも上海と同じような生活をしたいた。それは部屋の中の作りなどもそうであった。香港には上海人だけでなく、インド人なども独自のコミュニティをもっていた。それは普通の生活からは見えないものだったし、香港の主流(香港人)とは離れていた。
  • 張愛玲の描く香港は自分が体験した香港に近い。(許)
  • 張愛玲は香港の作家より中国の作家としての要素が大きい。亦舒は香港の作家としての要素が大きい。金庸武侠小説を書くための独自の中文を生み出した。黄霑の書く文書は、正しい香港人の中文である。
  • 1930年から50年代の上海の雰囲気が好きだ。(許)