馮小剛、電検に不満ぶちまけ

馮小剛監督。大陸の娯楽産業への圧力が止まらない。廣電総局は「限娯令」を発令し香港や台湾の芸能人が大陸のテレビ番組出演に制限を加えたのに続いて(id:hkcl:20110901参照)、馮小剛(フォン・シャオガン)は先日、全国政協が主催した深化文化体制革命の会議上、現在の電影審査制度の薄情さと厳しさは創作の自由を絞め殺していると直訴した。
近年大陸の娯楽産業の発展はめざましい。しかし政府はさまざまな手段をつかってその発展に圧力を加えている。まずは「限娯令」で香港台湾芸能人の大陸への出稼ぎへの制限が伝えられた。さらに今度はインターネット上の音楽についての規制と管理、放送権の規範ができた。そしてこれまでも厳しかった映画審査制度(電検)が、ここにきてさらに1歩厳しくなっている。音楽や映画はすべて牢獄のように管理されることになっているのだ。
馮小剛監督は先週の金曜日(8月26日)、全国政協が招集した深化文化体制改革の専題協商会の席上、電検制度のあやまった方向性に耐えきれなかったようだ。馮小剛は、「インターネットではさまざまな指導者への批判を提示しているのに、映画は審査を通過できない。これは一種奇妙な現象を作り出すことになっている。電影局は映画を審査し、全民衆が電影局を審査しているわけです」と話した。
馮小剛は《唐山大地震(唐山大地震・思い続けた32年)》を例に、映画は幾度も改修をし、民族の傷跡をかかげされられ、国難という帽子を被らされることになった。結果、審査をたやすく通過するために、映画人はこぞって歴史に題材を取った映画を撮影し、結局創作の自由は絞め殺されてしまう。「審査は創作に傷と枷を与えるものなのか真剣に検討する必要はないのでしょうか。この問題が解決しなければ、経験したことを考え直す作品や過去に対して誠実な作品を撮ろうとする時、それはただの絵空事になってしまうのです」と訴えた。
80年代を思い起こすと、大陸の電検制度は確実に幅があった。当時、多くの議論を呼んだ題材の映画が撮られている。たとえば張藝謀(チャン・イーモウ)の《紅高梁(赤いコーリャン)》《菊豆(チュイトウ)》や陳凱歌(チェン・カイコー)の《覇王別姫》など、今日傑作といわれる作品などだ。しかし近年を見ると、代表作といえる作品はない。ハリウッドを越えるためには、遙かな長い道を歩いて行かなければならないのだろう。2011.9.1「蘋果日報

馮小剛うまいことやっているのかと思いきや、彼にも不満があったのか。《唐山大地震》など、国策映画の最たるものと思っているが、これは彼の意志ではなく、政府の意志だというのだろうか。いずれ中国がより解放された暁には是非、本来の《唐山大地震》の脚本なりを見て見たいものだ。