7th Heaven(七重天)(第七天国)

《7th Heaven》
チャールズ・ファレルジャネット・ゲイナー フランク・ボーゼイジ:監督 1927年 モノクロ サイレント


(以下ねたばれ注意)パリで下水道掃除をしているチコ(チャールズ・ファレル)の願いは地下から地上に出て道路掃除をすること。ある日、姉に執拗に虐められている女性・ディアーヌ(ジャネット・ゲイナー)を助けてやったが、姉が警官を連れディアーヌを取り返しに来たため、とっさに彼女は自分の妻だと嘘をついた。警官はそのうち家に確かめに行くといいおいて去った。困ったチコは、警官が確かめに来るまでディアーヌを部屋に住まわせることにした。チコの住まいは屋根裏部屋で建物の7階にあった。
隣の建物の屋上には道路掃除人が住んでおり、隣へは板の橋が渡してある。チコは橋を渡っていったり来たりしているが、ディアーヌは怖い。チコはディアーヌのあごに手をあて言う「下を見てはいけなく、いつも上を見て」。
警官が来るまでのつもりだった2人は次第に心惹かれ愛しあうようになるが、チコは1度も「愛している」と言ってくれない。いよいよ2人が結婚しようという時、戦争が勃発、戦場へ行くことになったチコは初めてディアーヌに「愛している」と告げるのだった。そして2人は毎日11時になったら、「チコ、ディアーヌ、ヘブン」と言いお互いを思うことを約束した。
チコが去ったあと、突然姉が尋ねてくるが、チコから勇気を授けられたディアーヌは姉に屈することなく見事に姉を追い返した。戦争が続くなか、ディアーヌは工場で働き、ひたすらチコの帰りをまった。戦争が終わりを告げるその時、チコの訃報がディアーヌに届く。信じないディアーヌだったが、チコが下げているはずのペンダントを見せられ失神してしまう。そこに負傷したチコが帰ってくる・・・。


モノクロでサイレント。当時カメラも重かったであろうが、移動しながら撮影するシーンがあり感心。下水から地上を覗く、7階から下を望む、遠景で沢山の兵士や車が戦場へ赴く場面など、バラエティに富んだアングルにも感心。今見ても十分に面白い。
この映画を翻案したのが、謝賢、南紅出演、原楚脚本、呉回監督の《七重天》(id:hkcl:20111122)。2つを見比べると、物語の骨格はそのままに巧みに翻案したのがよく分かる。
ディアーヌは小紅と南紅の名を取っているが、チコは志高と広東語読みでチコに近い名前になっている。香港に下水掃除はないので、志高の職業は看板書きに変更されるため、下水から屋上へという展開はなくなるが、看板書きが看板を書いていると2階の部屋で小紅と叔母のもめ事を目撃するようになっている。また米版では姉に虐められるディアーヌ、港版では叔母に客を取らされそうになる小紅とここでも巧みな変換。警官に妻と嘘をつくのは同じ。
米版ではチコは1人でビルの7階の屋根裏部屋に住んでいるが、港版では同僚の老鼠仔と屋上の掘っ立て小屋に住んでおり、小紅がやってきてからは3人の生活で、男2人は「難兄難弟」的。ここでも香港的変換が面白い。となりのビルへの板きれの橋はどちらも同じだが、この板の橋をつかって米版では「上を向いて歩く」(勇気を持って歩く)という言葉が強調される。
米版ではチコは第一次世界大戦で自ら戦地へ赴くが、港版では日本軍に強引に連れ去れるため小紅は志高ら香港人が集められた場所まで密かに遭いゆき、ここで毎日12時になったらお互いの名前を呼ぼうと約束する。米版では午前11時で「チコ、ディアーヌ、ヘブン」と唱える。
米版では戦争中工場で働くディアーヌにいいよる軍人が登場し、ディアーヌは拒否を続けるが、チコが亡くなったという知らせを受けた失意のディアーヌは軍人のプロポーズを受けそうになる刹那、チコが帰還してくる。チコは目が不自由になっているが、ディアーヌの元に戻ってくることに何の迷いもない。しかし港版では船で戻ってきた志高は片足を失っており、小紅にあわす顔がないと、なかなか船を下りられない。そこを隣人らが説得してなんとか戻ってくる。この男性心理の処理の仕方の違いも興味深い。
そして最後は「私が不自由になった目(足)代わりになる」と言って終わる。
2012.5.20@百老匯電影中心(Le French May「電影雙城:巴黎−香港」)


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