《點五歩》への疑問

《點五歩》のストーリーをネットで読み、予告編を観た時に感じたのは、"沙燕隊はリトルリーグなのに出演者の子供役がずいぶん大きい" "リトルリーグなのに港版《KANO》という紹介は何故? 高校野球?" という違和感だった。昨日の「香港の少年野球事情」の項の最後に少し書いたのだが(id:hkcl:20160419)、実は《點五歩》は、本来小学生の話を中・高生に置き換えているのだった。(当初高校生と思ったが、正確な学年は映画を観ないと分からないので、中・高生としておく。昨日のその部分も訂正した)。映画は創られるものだし、映画の為に実際の物語を改変すること自体には問題はなく、出来上がった映画が良ければ、それでいいと思っている。ただ、《點五歩》にはいくつかの疑問や問題があると思われるので、映画を観る前にまとめておきたい。


劇中、沙燕隊(Martins)が対戦する日本人チームは、どうやらバッファローズらしいのだが、沙燕隊もバッファローズも香港少年棒球聯盟(Hong Kong Little League)に現在も存在している。香港少年棒球聯盟は年齢で細かくリーグを分けており、マイナーリーグには7〜11歳、メジャーリーグが9〜12歳、ジュニアリーグが12〜14歳の児童・生徒が参加可能である。そして、沙燕隊もバッファローズマイナーリーグ所属、つまり小学校低学年なのだ。
監督・脚本の陳志發はTVBで仕事をしており、様々な資料を探すうちに沙燕隊の話を知り、映画化を考えたようだ。《がんばれベアーズ》というアメリカ映画もあるくらいで、小学生でも十分に映画には出来ると思うが、彼は小学校低学年では物語を作ることが難しいと考えたのだろうか。
80年代香港の学校制度では、小学校は6年、その後中學が7年あるが、中學5年時に會考といわれる統一試験があり、あと2年間勉強するかどうか考えなければならない。また大學に行くためにはその2年間勉強しなければならなかった。大學進学率がそれほど高くなく(現在は大學が8校で大學進学率は20%程度、80年代香港には大學が香港大學と中文大學の2校しかなかったので大學進学率はかなり低かった)、中學5年で勉強を終え社会に出て行く生徒がほとんどだった。中學の5年間は大人社会へ入っていく手前の微妙な時期で、それだけでもいくらでも物語が出来きるだろう。物語を豊かにするために小学生を中學生に置き換えたのだろうか。しかし野球ということを考えると、小学校低学年の試合を中・高生の試合に書き換えるのに無理はなかったのか、また沙燕隊はともかく、相手チームの名前も実際にあるチーム名をそのまま使ってしまうことに抵抗はなかったのか、対戦相手だけでも架空の名前であれば、物語が創られたものだと気づくことが可能だ。


対戦相手の日本人チームにも問題がある。香港少年棒球聯盟に所属している日本人の子供たちは、ほとんどが日本人学校の児童・生徒である。海外の日本人学校は義務教育の小・中学校しか設置しておらず(現在は高校のある地域もある)、それは香港も同様である。駐在員の子女の多くは、高校生になる前に日本に帰国してしまう(中学2年で帰国する生徒が多い)ため、中学3年までならなんとかジュニアリーグで活動可能だが、高校生チームの存在はほぼ不可能だし、高校生はリトルリーグではない。


さらに港版《KANO》という紹介もかなり疑問だ。この港版《KANO》(実際には"香港也有了自己的《KANO》=香港にも自分たちの《KANO》があった"と書かれている)という表現は、《點五歩》の公式fbに書かれている。台湾映画《KANO》は、日本統治時代の台湾を舞台に嘉義農林という高校が甲子園に出場する物語で、香港少年棒球聯盟の1リーグの優勝とはその規模が違い過ぎる。だから最初に港版《KANO》という惹句を目にしたとき、ひょっとしてリトルリーグのアジア太平洋大会で香港代表が日本を破ったことがあるのだろか、と考えてしまったのだ。港版《KANO》という表現は、香港でよくある誇張した表現とも取れるが、やはり誇張のしすぎだ。


どのような経緯で、どのような思いで小学生の物語を中・高校生に書き換えることになったのかは監督に直接聞いてみなければ分からない。しかしこれらの疑問や問題は、やはり香港人が野球に詳しくないことの証左ではないか。野球に詳しければ、こういった改変は出来ないように思う。それゆえ映画の出来にも多少の心配がある。しかし詳しくなかったからこそ出来た大胆な改変や、思い切った演出でそんな心配をふっとばすほど、いい映画になっていることを願うばかりだ。