幇会、少林と香港映画

張徹の《少林五祖》
前回の『電影双周刊』に掲載された林丁玉の文章「黒幇電影縦横談」は、アメリカの黒幇(マフィア)映画について述べられており、さらに香港映画においては黒社会(ヤクザ)映画は1970年代になって初めて正式に登場すると指摘している。たとえば《大哥成》《家法》から《省港旗兵(省港旗兵・九龍の獅子 クーロンズ・ソルジャー)》、《英雄本色(男たちの挽歌)》や《古惑仔》シリーズ、《[才査]弗人シリーズ》から《江湖告急》《槍火(ザ・ミッション)》《無間道(インファナル・アフェア)》、そして最も新しい《黒社会》などなど。資料は豊富で見識に溢れていた。
そのとおり、70年代初めの香港広東語映画、国語映画では、つねに黒幇(ヤクザ)のチンピラが登場しており、彼らは仇役のならず者で、主役を貼ることはなかった。当時の香港の電検(映倫)は、黒幇を持ち上げることを許されなかったと言われている。しかし国民党、共産党なども「愛国」を旗印しにした一種の「幇会」(集まり)と思われていた。国民党と幇会とのつながりは深い。孫中山孫文)は洪門に加入し、協力して革命を起こしている。民國時期には中国の古い映画では、正面きって幇会を描くことはなかった。
中国では早くから三国志の桃園の契りや水滸伝梁山泊などがあり、のちの幇会崇拝はこれらの影響を受けており、また多くの武林侠義の物語りにも影響している。近世の小説やドラマの武侠もの、功夫伝奇ものは、多かれ少なかれ江湖(渡世)の幇会文化と関係がある。
香港の武侠映画についていえば、功夫映画に大きな影響を与えた少林寺伝説と幇会の関係はとりわけ微妙だ。洪門「天地会」の設立物語の初めは、清朝少林寺が焼き討ちにあい、5人の弟子が逃げ出し、紅花亭で義侠の契りを結び洪門を設立、反清復明の誓いをたてることにある。それが洪門前五組、またの名を少林伍祖となる。1980年「香港国際電影節」で出版された『香港功夫電影研究』の呉昊の文章「当伝説死亡的時候・重提嶺南少林旧事」は、少林や洪門と香港映画についての切ってもきれない複雑な関係について詳細に述べている。
70年代、張徹(チャン・ツェー)は《少林五祖》を撮影している。これは紅花亭伝説を銀幕上に再現したものだ。by 2005.10.26「明報」石[王其]記

最近『電影双周刊』読んでません(汗)。この幇会の起こりについては、日本でも本が出ているはず。『中国の黒社会 (講談社現代新書)』、『香港黒社会―日本人が知らない秘密結社』あたりでもざっとは書いてありそうだ。
さて香港映画との関わりのところが興味深いので、上記の1980年の本を捜してみましょうか。あるかな?