黒幇と香港映画 続き

昨日の続きです。

桂治洪の《大哥成》
1970年代に沸き起こった香港黒幇(ヤクザ)映画は、欧米や日本の黒道(マフィアやヤクザ)映画の影響が色濃い。最も直接的に影響を受けたのは1972年のアメリカ映画《ゴッドファーザー》で、古龍武侠小説「流星胡蝶剣」でさえ、多くの部分は《ゴッドファーザー》を模倣しているといえる。また日本のヤクザ映画は、6、70年代、香港で数多く上映されている。この後香港映画は、剣客や博徒、殺し屋などを模倣していくことになる。そのため、王晶バリー・ウォン/ウォン・ジン)のイカサマ師や呉宇森ジョン・ウー)の殺し屋は東洋的雰囲気を持っている。香港の黒幇片(ヤクザ映画)は、このように東西が合体し花開いて、香港独自の特色を持つことになる。
ただし、張徹(チャン・ツェー)はすでに60年代に「新派」の男性的陽剛武侠の風潮を作っていた(もうひとつの武侠映画の巨匠・胡金銓はどちらかというと女性重視であった)。「あばれんぼう」や「ろくでなし」が香港映画の主流になり、これが後の男性的黒幇(ヤクザ)映画に影響を与え、その後熱烈に支持されるようになっていく。
張徹が上海幇会の伝説的人物で映画《馬永貞》を撮りあげたのは1972年のことで、これにより、すでに香港映画の黒幇片の骨格を打ち立てていた。さらにテレビドラマ《上海灘》を啓発することになる。昨年の周星馳チャウ・シンチー)の《功夫カンフーハッスル)》もまた古い時代の上海を背景にしており、《馬永貞》の伝統を受け継いでいる。張徹は洪門神話や少林伝奇、広東武師、洪拳與詠春を再現し、またつねに洪門儀式を撮影しており、彼こそが香港映画の江湖(世界)における大龍頭(ボス)だと言える。
しかし正しく「幇会文化」を現代の香港映画に作り上げたのは、張徹ではなく、彼の後輩、《成記茶楼》や《大哥成》の桂治洪であり、さらに「張徹班」の弟子である王鍾、李修賢(ダニー・リー)などだ。7、80年代の香港はとりわけ自由で開放的であった。映画界には多くの「兄弟班」(グループ)があり、まるで義兄弟の様相で、実社会も渾沌としており、新旧の幇会や組、旗兵(大陸から流れてきた兵士)が寄り集まっていた。従って黒幇片(ヤクザ映画)はロマンをかき立てるだけでなく、写実性も備えていたのだ。by 2005.10.27「明報」石琪記

ちゃんとした香港黒社会映画の歴史が読みたいよー。
なお《大哥成》はIII級片なので、大きくIII級と書かれておりますが、これは規定なんだそうです(ある一定以上の大きさの帯などもつけて注意を促さなくてはいけないらしいです)。