中国映画100年の危機

昨日(id:hkcl:20060105を参照)は05年の中国人男優と監督は西洋映画で突出するのは難しいと言ったが、昨年正式に公開された作品を上げてこれを補足しておこう。男優はここ数年に比べて精彩を欠いていた事は疑いないが、李安(アン・リー)が監督した《断背山(ブロークバック・マウンテン)》は国際的映画祭で受賞し、昨年最も好かったと評価されたアメリカ映画の一つだ。同性愛を題材にした傍系の作品で、06年オスカー賞発表のあと、各地で正式に公開される予定だ。李安は現在のところ東西両方で最も実力を持った中国人の監督だ。
2005年は中国映画誕生100年にあたる。それは清朝末の1905年、北京の「景泰照像館」が初めて中国人の手により京劇の一部を撮影した短編《定軍山》を撮ったことに起因する。香港、大陸ともに100年記念の催しが行われ、大陸では特に大掛かりだったが、残念ながら一般には映画ブームは起こらなかった。
現在、中国人が住む地域の観客数は10年前に比べ大幅に減少している。さらに中国映画を見なくなり、重大な危機にある。ただ危機と言われる中にもチャンスはある。10数億の人口を持つ中国は可能性が大きく、地球上で最も大きな映画マーケットに変わる可能性を持っている。10数年来、西洋人は中国人を重用してきた。アメリカ映画の新作《藝伎回憶録(SAYURI)》でさえ、中国人女優に日本の芸妓を演じさせている。外国人は中国マーケットを好意的に見ているが、中国の観客は中国人の映画にますます文句をいうようになっている。観客の要求が高くなっているのだ。
どうあれ、現在中国は、東南アジア合作映画の中心だ。つまり香港、台湾、韓国、日本、東南アジア、ヨーロッパ、アメリカと大陸の合作大作映画の中心にいる。香港は国際的合作映画の経験豊かで、今日でも商業映画の撮影は比較的フレキシビリティが高いため、現在香港が担っているコミュニケーションを司る役割は重要である。ただし香港映画人は、まず香港の観客の支持を取り戻すことが重要。さらに大陸と台湾の映画人は、映画祭だけに注意を向けるのでなく、映画マーケットについても注意を向けなけれればならない。それが質の高い中国映画を作って行くことになる。by2006.1.5「明報」石琪記(かなり意訳)