香港的「大中華の特色」

id:hkcl:20060125#p1の続き)ある人は香港映画の特色は香港的なものであって、中国的なものとは違うと思っている。しかし実際問題、いわゆる香港的なものは中国の歴史、中国の文化、中国人の血縁も含まれている。香港映画は誕生以来、あくまでも中国人映画のひとつなのである。
「大中華」な特色を備え、それを自由に発揮させてきたからこそ、香港映画は台湾や海外の中国人マーケットに入っていくことができ、中国人は親しみを感じ、大陸の開放後には、香港映画に愛着を感じているのだ。4、50年前、この小さな香港の映画生産量は全世界で第3位であった(インド、アメリカについで)。それは香港だけに頼っていたわけではなく、広く多くの中国人の支持があったのだ。当事、香港の古装ミュージカル映画武侠映画は中国映画の典型といわれ、現代劇もまた各地の中国人の共感を得ることになった。
1970、80年代、香港映画に「香港的特色」が現われてきた。それは中国人の現代化を意味する。新しいアクションがつくり出した驚くべき「中国の功夫」、古装武侠から発展して槍、刀、剣さらに手技、足技などの現代的アクションが、世界の映画のアクション場面の処理の仕方に与えた影響は大きい。
ここ10年、香港の観客は変わってきた。アメリカ、日本、韓国を崇拝、中国的なものを捨て去ることが流行り、人格は分裂してしまい、再び香港映画を見ることはなくなってしまった。しかし中国人の根は消え去っていない。近年最も興行成績のよかった周星馳チャウ・シンチー)の《少林足球(少林サッカー)》と《功夫カンフーハッスル)》は、もちろん「香港的特色」を持った映画で、同時に新鮮な「中国人の特色」を持っていた。
香港映画の「香港的特色」はこのように復活したことで、中国的、中国人的な一面を捨て去ることは出来きないが、一歩すすめてより現代的に洗練されることが必要だということが分かっただろう。香港映画は香港人と香港という土地に留まっているべきではなく、「以前」と同じように大陸、台湾、東南アジアや世界とコミュニケートし、合作するなどの努力を続けていく必要がある。
さらに過去には、香港の検閲も外国の電検も厳しく、多くの禁止があったことがあるが、香港映画は方法を見つけだし、適応してきた。今後もフットワークよくマーケットを開拓していくことができるはずだ。最も重要なことは、自信とエネルギーを復活させること。もし香港人が香港を呪って香港映画を踏みにじるなら、反撃に出るとこは不可能だろう。by 2006.1.25「明報」石[王其]記(かなり意訳)

なかなか強烈な応援の文章だ。自らの窮地は自らの力で脱出するしかないという、もっともな意見なのだが、つまりはいまの香港映画人は、まったく元気がない、努力が足りないといっているわけだ。
観客は正直だと思う。面白い映画なら、香港映画だろうが、韓国映画だろうか、日本映画だろうが、ハリウッド映画だろうがかまわない。香港人で香港映画だけを見ている人は皆無だろう。ハリウッドものしか見ないか、香港映画の大作とハリウッド映画しか見ないというのが普通。日本映画や韓国映画は、香港映画の敵というほどでもない。香港人の嗜好が変化しているのだから、映画も変化していかなければならないはず。新しい「香港的なもの」がどこかにあるはずだし、それはたぶんみんなが見たい香港映画なのだと思う。
とくかく私は面白い香港映画が見たいのだ。観客がいっぱい入った映画館で、みんなで笑って、泣いて、感動したい。ちなみにの昨日の旺角百老匯、《霍元甲》はほぼ満席でした。