「張活游から周星馳まで:楚原的電影」

相変わらずくくりがないので、ここに置いておく。
今日は楚原についての座談会「張活游から周星馳まで:楚原的電影」も開かれた。出席は何思頴(サム・ホー)と藍天雲(グレース・ン)。張活游は楚原の父だが、なぜここに周星馳チャウ・シンチー)の名があるかというと、楚原が監督として最後(1990年)に撮った映画の1つ《小偸阿星》に周星馳が出演しているから。最後に撮った作品は他に2作品あり、最後の粤劇片《李香君》と方中信(アレックス・フォン)、李子雄(レイ・チーホン)主演の《血在風上》(東京の家にVCDがあり、見たが中身は忘れている)。どれも散々な結果だったらしい。
ちなみに周潤發(チョウ・ユンファ)の《大丈夫日記》は1988年で、監督作品としては最後から4本目。《大丈夫日記》は、楚原に同名の作品(1964年、上下2集)があり、1964年版は妻が恐い男4人が、いかに妻の目を盗んでいかに女性と遊ぶかという内容で、彭浩翔(パン・ホーチョン)の《大丈夫》はタイトルばかりか、男4人(ですよね?)というところまで影響を受けている。
楚原の長い監督生活は、香港映画の歴史をそのまま体現している。こういう監督は大変珍しい。さらにヨーロッパ映画、特にイタリア・リアリズムからの影響、ヒッチコック、007などからも影響を受けている。またジェームズ・ディーンに代表される反抗する青年が登場する。実は西洋人にも楚原の作品が人気があるそうだ。
また古龍原作の古装片では、みかけは古装だが、登場人物の心理は現代劇と変わり無い。《紅花侠盗》は現代劇だが、すでに非常に古龍的で、古龍と出会う以前から(楚原は古装を撮るまで古龍を読んだことがなかったそうだ)楚原は古龍的であったため、古龍に出会って、いっそう楚原が花開いたといえる。
というような内容だった。なお、今回の楚原特集は彼の前半にスポットを当てており、今年8月ごろには後半にスポットを当てた特集を予定しているという。後半では、古龍の作品、周星馳の《小偸阿星》も上映したいと言う(《小偸阿星》には方中信も出ている)。8月が楽しみだ。