電検制度の真相

12日の記事(id:hkcl:20090112)の続報。

大陸の映画興行成績は毎年増えており、両岸三地(大陸・香港・台湾)の監督たちはだれもが広大なマーケットを重要視している。しかし大陸以外の地域では、大陸の審査制度の締め付けがどんどん厳しくなっていることを重要視している。江平・国家電影局前副局長は先だって香港で、香港映画が大陸で封殺されている本当の理由を暴露した。これに対し香港の監督たちは、映画創作を撲殺するものだと大陸の審査制度に怒った。


香港導演會は両岸三地の映画文化交流を推し進めるため、海峡両岸香港電影導演研討會を開催した。この会は今年すでに10回を迎えており、大陸・香港・台湾の監督たちは今週月曜日(12日)に香港海逸酒店で2日間に渡る研究討論会を開いた。出席した呉思遠(ン・シーユン)、爾冬陞(イー・トンシン)、張同祖(ジョー・チャン)、陳可辛(ピーター・チャン)、侯孝賢ホウ・シャオシェン)、魏徳聖(サミュエル・ウェイ)、朱延平(チュー・イェンピン)、馮小剛(フォン・シャオガン)、陸川(ルー・チュアン)、田壮壮ティエン・チュアンチュアン)らは、映画の現状と未来について大いに語り、大陸の電検がますます厳しなっており、多くの監督たちは不満を感じているという。


江平・国家電影局前副局長は討論会の席上、大陸の映画には暗礁があると暴露し、「もしあなた達が審査官なら、映画はどれも(審査を)通過できるに違いない。ではどうして暗礁に乗り上げてしまうのだろうか。たとえば、爾冬陞の《旺角黒夜》では張栢芝セシリア・チョン)の一言、「私は湖南から来た。私たちの村は貧しい」が「私は南洋から来た。私たちの島は貧しい 」と変えられている。杜琪峰(ジョニー・トー)の《文雀》は審査に送る前に暴力的なシーンを削ってから審査に送っている。また朱延平の《功夫灌藍》も幾つかのシーンをカットして順調に審査を通過した」、さらに続けて「馮小剛は学ぶに値する監督で、彼の《集結號》は最後に、記念碑のシーンで国家が民族のために捧げた命を認めるている。この結末は実に頭がいい」。


大陸の電影審査委員会員の鄭洞天は席上、撮影するなら「高圧線」に触れないようにと、監督たちに告げた。例えば、民族問題や黒社会を題材にしたものには関わらないようにするのがよいことだとし、陳可辛の《投名状》は巧妙に民族問題を避け、杜琪峰の《黒社会》は黒社会に触れたために大陸に入っていくことが出来なかったと話した。


彭浩翔(パン・ホーチョン)監督は大陸の審査制度について意見があるようで、昨日記者の質問を電話で受け、「今大陸の審査制度は日に日にきつくなっていると言える。映画創作に影響があるのは疑いのないことだ。従ってもし題材が合作に適さず、それが映画の質に関わってくる場合には、合作をあきらめなくてはならない。たとえば、ホラーに暴力が加わった題材の次回作《維多利亞壹號》のように。僕は合作の許可はでないだろうと分かっているので、大陸マーケットはあきらめている。もし題材が合作に適しているなら、合作もかまわない。大陸には大きなマーケットがあるのは確かだから」と語った。


張同祖・導演會栄誉会長は現在の大陸電検審査制度は、創作に大きな影響を与えていると思っており、「現在のところ、大陸はまだ完全に市場がオープンになっていない。従って審査制度は結局のところ多くの制限がある。もし題材が本当に合作に向いていなければ無理することはない。たとえば《内衣少女》のように大陸市場がなくても成功できるだろう」と話した。
実のところ、《頻果》と《色、戒》の2本あと、大陸の電影審査制度は以前に比べ厳しくなり、爾冬陞の《新宿事件》、林超賢(ダンテ・ラム)の《神鎗手》、鄭保瑞(チェン・ポウソイ/ソイ・チェン)の《暗殺》などが上映許可が得られず、大陸マーケットをあきらめ、今年つぎつぎと香港で上映するという情況を生み出している。監督たちは大陸の審査制度にしぶしぶ従わなければならないわけだが、張堅庭(アルフレッド・チャン)、黄真真(ウォン・チャンチャン/バーバラ・ウォン)、葉念琛(パトリック・コン)らは大陸マーケットに対しては楽観的で、大陸マーケットはゆっくりと開放されていくと信じており、張堅庭は「みなが、大陸マーケットが開放されるようにしていかなければならない。しかし同じように他所の電検制度は尊重しなければならない」と語っている。by 2009.1.16「頻果日報」(意訳あり)

最悪な中国の電検制度の状態がよくわかる記事だった。大陸が開放される前に、香港映画が滅びそうだ。やはり香港でヒットする香港映画を作ることが大切だと思うのだが。
鄭保瑞の《暗殺》、なかなか話しが聞こえてこないと思ったら、電検にひっかかっていたとは・・・。