半生縁

hkcl2010-01-17黎明(レオン・ライ)、呉倩蓮(ン・シンリン)、黄磊(ホアン・レイ)、呉辰君(アニー・ウー)、葛優(グウ・ヨウ)、王志文(ワン・チーウェン)、梅艶芳(アニタ・ムイ) 
許鞍華(アン・ホイ):監督 
カラー 国語 東方 1997年


上海の工場につとめる叔惠(黄磊)と世鈞(黎明)と曼[木貞](呉倩蓮)は友人。世鈞は当初、オープンな性格の叔惠は曼[木貞]に気があるものと思っていたが、2人が友人だと知り、徐々に曼[木貞]への思いをつのらせていった。曼[木貞]も世鈞の思いを知り、互いの住まいを行き来するようになり、2人はいずれ結婚するものと思われていた。ある日、3人は南京の世鈞の実家を訪ねた。世鈞の父は曼[木貞]の顔を見て、どこかであったことがあると言い出す。実は曼[木貞]の姉の曼璐は商人の鴻才(葛優)に嫁いでいるが、父の死後一家を養うために踊り子をしていたことがあった。それを知った世鈞の一家は2人の結婚にいい顔をしなかった。上海に戻った世鈞にある日、父が重病との知らせがやってきて、世鈞はひとり南京に旅立つ。
そんな時、曼璐は鴻才がよその女性にこころを移していることを知る。曼璐は鴻才の気持ちをつなぎ止めるために、前々から鴻才が曼[木貞]に気があるのを利用して、曼[木貞]に鴻才の子供を産ませようと画策し曼[木貞]を軟禁する。鴻才の子を出産した曼[木貞]は、子供は鴻才に取り上げられてしまうが、知り合いが病院から助け出してくれた。知り合いの家から南京の世鈞に手紙を書くが、その時、南京では世鈞と幼なじみの翠芝の婚礼が行われていた。手紙は世鈞の家族によって灰になっていた・・・・・。


すれ違いと誤解、タイミング、さらに悪意のある人々によって翻弄される恋人たちのメロドラマ。スクリーンで見たのは1度だけ(1997年の東京国際映画祭で上映だったと思う)、もう1度、スクリーンで見たいとずっと思っていた作品。ようやく念願が叶った。初めて見た時、退屈だった印象があるのと、家の入り口に立つ黎明の姿しか記憶に残っていなかった。


「許鞍華説許鞍華」では《半生縁》について何を話しているだろう。「最初に映画化したいと思ったのは1983年ごろで、92年にはもう少しで撮れそうな時があった。脚本も書いていた。そのときに田壮壮は《半生縁》をドラマにしようと考えていて、田壮壮がドラマを撮って、許鞍華が映画を撮るという話であったが、最終的にはこれをあきらめた。96年になり、900万で撮れるかと聞かれたが、1100万か1200万必要だと話して、結局大陸から300万、香港で600万、台湾への販売が200万という資金が集まり撮影できた。原作は通俗的で、登場人物のそれぞれの家庭についても細かく描かれていたため、映画化にあたって3分の1を削った。さらに小説では最後に曼薯ハが鴻才と結婚したあとの10年間の生活が細かく描かれているので、これも削った。・・・俳優については梅艶芳で撮れたらよかったのだが、映画会社が黎明と呉倩蓮を起用することで海外へ配給できるといい、それに従ったが、最終的に重要な姉の役に梅艶芳を起用できた・・・。」(抜粋)


最初に見た時は、葛優や王志文がよく分かってなかったが、今見るとかなりな豪華キャストだ。このころの黎明にはこういう恋に奥手な感じの役がよくあっていたし、呉倩蓮の薄幸だが力強い女性、黄磊のスマートさ、葛優の狡猾と没落、梅艶芳の存在感など、キャストも悪くない。《傾城之戀》と違い、言語も普通話だ。ただ当初、これは香港映画ではなく中国大陸の映画ではないかと感じた。それは舞台が上海と南京で、黎明と梅艶芳は出ているが、その他は台湾と大陸の俳優で言語は普通話、娯楽作品ではなく文芸作品ではと感じたことも大きかった。今から考えると、合作映画の先駆けだったわけだ。
2010.1.16@香港電影資料館(借銀燈・張愛玲與電影)


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