「2005肯定独立」

左から紀陶、陳嘉上、荘澄今日で「2005肯定独立」の座談会は終わり。先週と今週の内容を少しばかり。
◎先週のゲストは陳嘉上(ゴードン・チャン)と荘澄。この日の話は独立映画と主流(商業)映画の違い、もしくは共通点など。

  • 2人とも独立も主流も、ものを作る事においては違いがないという認識。
  • 陳嘉上:自分はいつも独立だと思っている。自分から企画を作り、各映画会社に持ちかけている。大会社に所属して、上から言われるまま撮っているのではない。
  • 荘澄:寰亞も最初は小さな会社、いわば独立系だった。香港の映画会社はみな元をただせば独立系だ。特に黒社会かかわっていた会社など、独立系の最たるもの(爆)。独立系では、監督が1つの映画のあらゆる事に心血をそそがなくてはないけないが、大会社は仕事を分担出来る。
  • 香港の映画会社について:香港の映画会社はどこも小さい。もともとは家内工業みたいなものだ。。これは香港のすべての産業が家内工業的だということと大きな関わりがある。韓国では、大きな財閥が映画に出資ししているが、香港では大企業はどこも出資してくれない。
  • 曾志偉(エリック・ツァン)と黄精甫(ウォン・チェンポウ)の関係について:黄精甫は、非常にプレゼンテーションの上手い人だ。それが曾志偉の目に留まり、1回曾志偉が映画に参加して、その後《江湖》を撮ることになる。《江湖》の撮影については、2人はその題材、脚本など全てに渡って徹底的に話しあっている。黄精甫と《江湖》については、id:hkcl:20040505#p1を参照。
  • 彭浩翔(パン・ホーチョン)について:彼は、いろいろな創作活動にかかわり、それが直接何かに結びつかなくても常に様々な働きかけをしてきていた。彼もプレゼンテーションが上手い。
  • いま香港映画に不足しているのはマーケティングだ。脚本、キャストなどから予測出来る観客の層や数、これをきちっと読めない。
  • 政府の助成金について: 香港芸術発展局(ADC)の委員が陳嘉上から杜琪峰(ジョニー・トー)に変わって、助成金の出し方にも変化がある。陳嘉上は、ある作品が一般の多く観客の理解を得られなくても、その作品の存在が刺激を与えると考えられるという作品がある。そういう作品は絶対に必要なので、そういう作品に助成金を出すようにしてきた。しかし杜琪峰は別の考え方で、彼はすぐに商業に結びつくものに助成金を出すべきだと考えている。杜琪峰の考えが全面的に間違っているとはいえないが、文化全体を育てるという考え方からすると、杜琪峰の考えには賛成出来ない。独立系もあり主流もあり、両方とも必要だ(2人ともほぼ同じ考え)。

◎今日は《追蹤眼前人》の監督、崔允信と《麥兜・菠蘿油王子》の袁建滔。主題は独立から主流へ。
2人とも大学で映画を勉強後、無線電視で働き、その後フリーに。無線時代、崔允信は脚本、袁建滔はAP。

  • 袁建滔はかなり面白い人だった。無線での仕事も1年でイヤになってしまう。兎に角会社で仕事をするのがいや。自分の会社でも、まず脚本が出来るのを待って、次は自分が絵コンテを描くのを社員みなが待っている。常に待っていて、創造力を発揮出来る時間など、本当に少ししかない。それ以外の事に多くの時間をとられる。アニメを自分で作るなら、全て自分で決めて、あとはこもって仕事が出来る。だから独立系でアニメを作ったのに、《麥兜》では、自分で望まないのに、メジャーの方に引っ張られてしまった。袁建滔、あらゆる事が面倒らしい。キャメラマンや俳優とのコミュニケーションにも気使うからイヤで、だからアニメなんだと言っていた。
  • 崔允信の《追蹤眼前人》には、梁家輝(レオン・カーファイ)が出ているが、梁家輝は最初に合った時から、すぐに出演を承諾してくれ、役についてもいろいろ意見を言ってくれたそうだ。この《追蹤眼前人》(id:hkcl:20040420#p2) と、やはり梁家輝が出ている《A-1頭條》(id:hkcl:20040911#p3)は共にマスコミを扱ったものだ。見比べると独立系と主流の違いがよく分かる。