「我看周星馳電影」講座

左から李力持、元華、舒曼、何故洲立影視(インターコンティネンタル・ビデオ)は「周星馳主演系列DVD BOXSET」(《龍的傳人(レジェンド・オブ・ドラゴン)》と《武状元蘇乞児(キング・オブ・ベガース)》のセット)の発売を記念して、昨日、尖沙咀の商務印書館で、李力持(リー・リクチー)らによる「我看周星馳電影」講座を開いた。
ちょっと覗いてきた。書店内のコーヒーショップでの開催で、場所が狭く、あまり宣伝をしなかったためか、見学者は15人程度。講演者は本来、李力持、元華(ユン・ワー)、梁家仁(リョン・ガーヤン)の3人の予定だったが、梁家仁は広州での仕事が長引き欠席、元華は新作のプロモーションで時間がなく、顔だけ出してすぐに帰っていってしまった。2人に代わりに登場したのは、何故*1、舒曼*2
今日の「明報」には・・

周星馳チャウ・シンチー)は、以前はたくさんのガールフレンドがいたが、いまは1人もない。周星馳は変わってしまった。ふだんはほとんど笑わなくなってしまったと、李力持は話した。by 2005.5.29「明報」

とあるのだが、どんどんかっこよくなるとも言っていた。これには前後があって、変わらないものとして、「《龍的傳人》の時から今まで周星馳や自分の中にあるものは変わっていない。喜劇とアクションと特撮というものは変わっていない」というふりがあった。
2人が知り合ったばかりのころ、李力持は黄埔に住んでいて、周星馳は(地名がよく聞き取れなかった)に住んでいたのだが、部屋はとてつもなく小さくて、ドアをあけると部屋の中が全部見えて、正面の窓から外も見えた。
李力持も周星馳も映画を見るのが大好きだった。幸いなことに香港は自由な都市で、いろいろな映画が見られた。香港映画に限らず、チャップリンは凄いといい、李小龍は外人をやっつけて凄いと思っていた。香港のすばらしいところは、中国的なものと西洋的なものが一緒になっているところだ。さらに香港映画はパクりのオンパレード。パクってパクってパクっているうちに自分のスタイルが出来ている。自分もあっちの映画のここ、こっちの映画あれとパクった。呉宇森ジョン・ウー)のスローモーションだって、呉宇森がつくり出したものじゃない。他の人のまねをしているうちに、呉宇森のスタイルになった。
《龍的傳人》は英国からビリアードのジミー・ワイを呼んだ。この時から世界に通じるものをというのも変わっていない(外人呼べば、世界的っていう考えはダメだと思うが)。ジミー・ワイとは4日間の約束だったが、香港へ来る前日に彼は酒を飲み過ぎて、飛行機に乗り遅れた。おかげで2日がパーになった。残った2日でなんとかしなくてはいけない。40時間、フィルムをまわし続けた。最初3台のカメラで撮ろうとしたが、無理だった。最後には監督は声さえ出なくなってしまった。
《龍的傳人》で一番苦労したのは、最後の部分。周星馳が突いた球が不思議な動きをするところを上から撮った場面。どうしても撮れない。それで、球に目に見えない糸をつけていて、台の下に人が入って操作している。台の大きさをはかり、それにあわせて糸の長さを調整するなど苦労した。
こんな感じ。評論家氏2人がもっと李力持にがんがん質問してくれれば面白かったのに、全然かんでくれなかった。

*1:評論家にして、フィギュア雑誌「TM」発行人。「TM」では、小春も表紙にしてもらいました。id:hkcl:20040830#p1参照。7月には新しい雑誌「in 誌・新鮮」というのを出すらしい。「カンフーハッスル インサイダー」にも文章を寄せている。

*2:評論家、舒曼で検索すると音楽家シューマンがひっかかってしまうので、詳しいプロフィールなどは分からず。アメリカでは映画も作っていたと本人の弁。