利舞台戲院閉館

利舞台昨日、80年の歴史を持った銅鑼湾の利舞台戲院が閉館した。
利舞台戲院は1925年の竣工。香港の実業家・利希慎が、母親が遠くの西環戲院に粤劇を見に行かなくてもいいようにと、銅鑼湾に建てたのがはじまり。粤劇だけでなく、かつてはミス香港を選ぶ会場になり、歌手たちのコンサートの場所だった。
1991年2度目の香港旅行の時、ここで粤劇を見たことがある。この時、利舞台戲院はまだ1925年当時の古いコンクリートの建物で、三角形の鋭角に入り口をつくり(現在の正面入り口と同じ場所)、内部は天井桟敷まである立派な劇場だった。中に入ると舞台の両袖には、円柱がたっており、龍の透かし彫りがほどこされていて、会場が暗くなると、明かりが点り美しかった。そこで、4時間近く座り心地の悪い椅子に座って、地元のおばさんに囲まれながら、まるで明治座状態で粤劇を見た。
その後1994年に改装され、現在の建物になる。下は店鋪が入り、上にはレストラン、映画館は5階に残された。ところが映画館の入り口は以前の正面ではなく、まるで裏口のような場所に移動していた。すぐ近くに複数のスクリーンを持つUA時代広場があり、1スクリーンしかない利舞台戲院は、座り心地は悪くなかったにも関わらず、経営状態は思わしくなかった。2001年3月には経営が嘉禾から新寶に移り、主に香港映画を上映していたので、満席になることはなかった。一貫して赤字だったという。今後はレストランになるそうだ。
今日(31日)の「明報」にこの件について、石琪氏が文章を寄せているので、少し抜粋してみよう。

新しい利舞台戲院が出来て10年以上になる。もっとも印象に残っているのは林海峰(ジャン・ラム)が監督した映画《天空小説》で、商業電台とコカ・コーラが製作し、この映画館で上映、チケットは売らず、フリーで見られた。その時、長蛇の列でエレベーターは使えず、観客は階段を5階まで上って入場した。大混雑で熱気に溢れていた。
その後、林暁峰の《廃話小説》もこの方法で上映。1966年には林暁峰、甘國亮(カム・コックリョン)、葛民輝(エリック・コック)監督、呉君如(サンドラ・ン)主演の《千面夏娃》は、主流の映画ではなかったがチケットは発売した。私は新しい利舞台戲院で見た。96年イギリスの《トレインスポッティング》もここで優先場が行われた。しかし普段はこへ来ることは少なかった。ここ数年は行っていない。家の近くの太古城中心や康怡が便利でスクリーン数が多いからだ。by 2005.5.31「明報」石琪記

この映画館に人が溢れているのを、私は見たことがなかった。《天空小説》はこんな形で上映されていたのか、知らなかった。この映画、日本で公開されたはずで、見た記憶はあるが、どこの映画館だったのだろうか思い出せない。
1つしかスクリーンのない映画館は、2スクリーンに改装したところもある。旺角の新寶戲院などはその例だが、それ以前、やはり旺角の南華戲院も1スクリーンを2スクリーンに改装していたが、すぐ近くにスクリーン数の多いUA朗豪坊が出来たこともあり、結局は昨年12月に閉館している。座席数の多い独立した建物の映画館は姿を消し、100〜300ぐらいの席数のものを複数用意し、ショッピングセンターに併設される映画館が主流になっている。