「書情畫意」

林紀陶、黄淑嫻、岸西、林奕華、馬偉豪ちょうどいいカテゴリーがないので、とりあえずここにいれておく。
昨日は「書展」の一環で開かれた座談会に行った。題は「書情畫意」、出席は映画監督の馬偉豪(ジョー・マー)、作家の林奕華(id:hkcl:20050715参照) 、脚本家の岸西(アイビー・ホー)、映画評論家の林紀陶、司会に嶺南大学の黄淑嫻(メアリー・ウォン)。
内容は「香港映画における文学作品の映画化についてその状況」、「どのような種類の小説が映画化に適しているか」「映画化の過程で困難なことはあるか、映画化とオリジナル脚本ものでは方法の違いがあるか」、「現在の小説の映画化と、かつての小説の映画化では、題材、表現方法、制作の仕方に違いがあるのか」「将来はどういうものが主流になるのか」など。
広東語が高度で苦しかった(大汗)。すごく特別な話しが出たわけではなかったが、幾米についての話しが興味深かった。幾米の絵本は特別なストーリーがあるわけでもないし、あの絵と雰囲気、読む人の心の中でいろいろ作られて行くものだ。これを映画化しようというのは大変。ストーリーがあると思われるのは「地下鉄」「向左走、向右走」くらい。そこで「地下鉄」を映画化した馬偉豪に鉾先が。ところが馬偉豪は、「すべて澤東と王家衛がコンセプトを考えた。僕は撮っただけ」ときた。馬偉豪、本もあまり読まないらしい。読むのは漫画、金庸、張小嫻(トレンディドラマのような小説を書く。ベストセラー作家)、深雪(女性向けの小説。ベストセラー作家)ぐらいだという。そして、幾米という名が大きな宣伝になった。香港ではいまひとつだった映画《地下鉄》の興行成績は、台湾では(台湾なりに)よかったという。
林奕華の口からはさかんに日本の小説やドラマのタイトルが出てくる。かなり日劇を見ていると思われる。「世界の中心で・・」は、映画よりドラマの方が多くの(ものを考えられる)空間があっていいと話していた。林奕華、顔と名前がやっと一致した(笑)。
岸西は、言われれば、どんなものでも脚本を書く、そりゃプロだものと。しかし有名な小説よりは、知らない小説の方がいい。それはやはりくらべられるから。
香港の文学ってかなりお粗末なようです。文学の雑誌もほとんどない。文学の賞もあるのか、ないのか? 話し言葉と書き言葉の乖離が激しいので、しょうがないのかもしれないが。いざとなったら広東語で書く小説があってもいいんじゃないかと思う。いい小説が、必ずしもいい映画になるとは限らないが、映画と文学が密接な関係にあることは確かだと思う。以前から香港の文学の不振が、香港映画にいい脚本がないことに繋がっていると言われている。香港映画の不振は、映画業界だけの問題ではないのだ。