《英雄本色》リメイクの意義

馮徳倫スティーヴン・フォン)は龍剛版《英雄本色》の版権を買い、来年2月に同名の映画を撮りはじめると宣言した。
報道では、彼は本来、呉宇森ジョン・ウー)版の続きを撮りたいと思っていたが、版権が取得出来なかったと言われている。
筆者の記憶では、《英雄本色》という名を持つ映画は上記の2つ以外にもある。今日、観客の印象に深く残っているのはもちろん呉宇森版で、版権は当時の会社である金公主が持ってると思われる。
呉宇森は当時、台湾におり失意の中だった。徐克(ツイ・ハーク)が彼を香港へ呼び戻した。《英雄本色(男たちの挽歌)》の構想も当然、徐克が提案したものだ。
龍剛版は本来、兄弟の情を描いたもの。呉宇森版は友情を描いたものだ。後に呉宇森は、このような友情がすばらしい物語を作りだしたとして、徐克に感謝を述べている。
兄弟の感情ということに関していえば、呉宇森の《英雄本色》では、義兄弟の情が本当の兄弟の情よりも濃厚である。
周潤發(チョウ・ユンファ)のMark哥は、本来のストーリーではこのように重要ではなく、当初は周潤發が演じることになってもいなかった。しかし周潤發の演技がすばらしかったため、どんどん周潤發の部分が増えていった。そしてついには《英雄本色》シリーズのスピリットが出来上がったのだ。
筆者は、早く男性映画が戻ってくることを望んでおり、馮徳倫が再び《英雄本色》を撮るのは、とても好い事だと考えている。
《無間道(インファナル・アフェア)》は剛陽(力強く、明るい)の雰囲気を持っているが、主流にはなり得ななった。《黒社会》は100%男性映画だが、興行成績も評判もあまりよくない。市場があることは証明されているが、市場があっても、相応しい映画がない。来年になって始めて続編が出来上がる。男性映画は必ずしも男性の観客が見るわけではない。《無間道》のように、男性も女性も、ともに映画を見るのだ。
香港映画が全盛時代には、男性の観客を主体にした映画が大部分を占めていた。筆者は、近年、女性の観客主体の映画が比較的多いと感じている。それは経済や環境と大きな関係があると思われる。by 2005.12.4「明報」郭[糸遣]澂 記

香港映画はたくさんの資産を持っている。徐克が過去の遺産を新たにパッケージして成功したように、過去をもう一度見直してみるのも、ひとつの方法かもしれない。時代が違えば、新しい解釈があるだろうし、新しい視点を加えて、多くの人の共感を得ることができるかもしれない。
馮徳倫は一貫して、香港映画がキラキラしていた時代の映画が大好きらしい。馮徳倫の手にかかって、どうようにキラキラの英雄物語りが作り直されるのか、楽しみにしたい。しかし周杰倫ジェイ・チョウ)は大丈夫なのかちと心配だったりするが・・・。なお《英雄本色》のリメイクについては→id:hkcl:20051202#p1