香港的難兄難弟の変化

楊天成著「難兄難弟」id:hkcl:20060425#p2の続き)何思穎の光藝・難兄難弟映画についての長文では、《世説新語*1やハリウッドのコメディスター、ローレルとハーディ*2まで遡り、さらに50年代の新馬仔と[登β]寄塵のバカコンビ映画について、そして再び7、80年代香港映画の難兄難弟の変化を語り、内容が豊富だ。少し補足すると、1940年の広東語映画《民族的吼聲》の中で、張瑛、馮峯、呉回は抗戦のため難を逃れて香港にやってきて一緒に住み、少女を保護する。ここですでに香港的な難兄難弟の写実的喜劇の典型が出来上がっている。
しかし秦剣が光藝で楊天成の3毫子小説*3を改編して、《難兄難弟》を撮り、香港で正式に難兄難弟映画の名称が出来上がった。しかしこの兄弟映画は光藝製作の一部にしかすぎない。後の広東語映画は青春お嬢様スターの陳寶珠(チャン・ポウジュ)、蕭芳芳(ジョセフィーヌ・シャオ)らがこのまれ、男性スターよりも遥かに人気があった。
70年代に入り、難兄難弟映画は本格的に香港映画の主流になっていった(当事、女性の観客は家で新しいテレビドラマや台湾語の劇映画を見ていた)。俳優にもスタッフにも兄弟組がつぎつぎと登場した。姜大衛と狄龍、許ブラザーズ、劉家班、袁家班、七小福の洪金寶(サモ・ハン)、成龍ジャッキー・チェン)、元彪(ユン・ピョウ)、元奎(ユン・ケイ)らは兄弟弟子、本当の兄弟、義理の兄弟で、戦い笑い、エネルギーに溢れていた。麥嘉(カール・マッカ)と石天(ディーン・セキ)のコンビは、80年代新藝城から出て、様々な兄弟が生まれ、《最佳拍[木當]》の大ヒットという奇蹟をもたらし、新版《難兄難弟》と《英雄本色》が撮影された。
香港映画界は80年代がもっとも盛んで、難兄難弟的な喜劇感覚と戦いが高まっていった。王家衛(ウォン・カーワイ)のデビュー作《旺角卞門(いますぐ抱き締めたい)》の劉徳華アンディ・ラウ)と張學友(ジャッキー・チョン)もまた難兄難弟であり、90年代の《春光乍洩》では基兄基弟(ゲイの兄弟)になった。この後、香港映画の男性スターは権威を失うが、伝統は無くならず、最近では周星馳チャウ・シンチー)の《少林足球(少林サッカー)》で再び兄弟弟子が組織され、《龍咁威2003》の鄭中基(ロナルド・チェン)、張達明(チョン・ダッミン)、李燦森サム・リー)は新しい難兄難弟で、もっとも近いところでは、呉彦祖ダニエル・ウー)の《四大天王》で4人がバンドを組むのもやはり難兄難弟だ。(中)by 2004.6.25「明報」石琪記


*1:世説新語》→ココ参照。

*2:ローレルとハーディ→ココ参照。

*3:3毫子小説、当事3セントで売られていた通俗小説のこと。