対話:譚家明

譚家明(左)
出席:羅卞、譚家明 
於:香港電影資料館
覚えていることを。順不同。ちなみに譚家明は現在、城市大学で教鞭を取っている。

  • TVB草創期(TVBの発足は1965年)には沢山の新人を採用したため、みな若く、いろいろなことを試してみようという思いが強かった。
  • 最初は許冠傑(サミュエル・ホイ)が出演している音楽番組を担当。今でいえばMVのようなものを撮った。その後ドラマのシリーズを撮った。
  • 当時は現在のようにテレビのレイティングがなかったため、ゴールデンタイムに不良少女や少年の番組を放送して、子供に悪影響があるとか、ラブシーンは家族で見て気まずいといった批判があった。しかし批判によって番組の内容が変わることはなかった。それはプロデューサーも若く、なんでもやってみようという気持ちが大きかったから。
  • 7人の女優シリーズは、ドラマに出演していた若手の女優1人を主役にしてまったく新しい物語を作ってはどうかと提案したら、プロデューサーが面白いからやってみちようということになった。最初の1本は時間があったが、その後毎週だったので、脚本を練る時間もなく、中には1日で撮り上げなければならない回もあった。カット割をきちっと決め、効率よく撮影するようにしていた。
  • (テレビでも映画でも)絵は下手なので、絵コンテは描かないが、カット割りは、きちっとストーリーボードを書いて、そのとおりに撮影する。
  • 《父子》は劉徳華アンディ・ラウ)ではなく(主役にという話しがあったのか?)、郭富城(アーロン・クォック)なのは:郭富城を信頼したから。劉徳華でも出来たと思うが、郭富城のような驚きは与えられなかったと思う。
  • 今テレビはニュースしか見ない。
  • いまの香港映画についてどう思うか:創作ということにおいては、かならず出口はあり、香港映画が消滅することはない。人類のいるところに物語は必ずある。
  • 次回作について:脚本を書き上げたところ。2年のうちには撮りあげたい。