羅永昌

ニュースがないので「香港電影13号」で、羅永昌(ロウ・ウィンチョン)監督が新作《機動部隊之同袍》について語っているインタビューを訳してみることに。長いので数回に分けて(途中飽きなければ最後まで)。

 ◎《機動部隊之同袍》の最初羅監督と林雪@香港亞洲電影節。

  • 問:今回の撮影プランの最初はどういったものだったのでしょうか。聞くところによると全部で5話のテレビ映画ということですが。
  • 羅:最初、寰宇の社長と杜琪峰(ジョニー・トー)さんが話し合った時には、5本のテレビ映画を撮り、最初の4本は映画館では上映しないということでした。ただしすべてフィルムで撮る。フィルム撮りは杜監督の意見です。コストはかかりますが、クオリティが高くなります。けれど、最終的に手渡す時にはベータ式に変換します。中の1本《機動部隊―警例》は先に第5回香港亞洲電影節で上映しましたが、この時の版もベータで、編集したフィルムはありません。4つの物語とも編集して完成した状態のフィルムはありません。テレビで放送する予定だからです。このようにするのは商業的な考えによるものです。中の1本を映画館で上映し、さらに4本の同一シリーズのテレビ映画があるというのは、海外へのセールスにも役立つと思っています。4本のテレビ映画のうち、2本は劉國昌(ローレンス・ラウ)が監督し、1本を呉耀権が監督、残りの1本を僕が監督しています。本来、僕と劉國昌が2本づつ撮る予定でしたが、僕は1本を撮ったあと、《毎當變幻時》を撮影しなければならなかったので、杜監督が呉耀権に頼んで撮影したのです。
  • 問:《機動部隊之同袍》を映画館で上映すると決めた要因は何ですか。
  • 羅:4本の物語は最初からテレビ映画と決まっていたので、《同袍》は最後に撮影しました。他の4本はすでに完成していて、僕が担当した《警例》も《毎當變幻時》の撮影前に完成していました。
  • 問:5つの物語は、銀河映像の脚本家チームを使っているのですか。
  • 羅:いいえ。5つの物語は、それぞれ異なる脚本家によるものです。《同袍》は游乃海と歐健兒で、《警例》と、呉耀権が撮った1本は葉天成が脚本を書き、残る2本の物語は劉國昌が自分で脚本家を探してきて書かせました。
  • 問:このテレビ映画シリーズは、杜監督の《PTU》と何か関連づける必要はあったのですか。
  • 羅:その必要はありませんでした。ただ撮影開始時にすでに、5つの物語は任達華、林雪、邵美琪の3人を必ず起用することになっていました。ただし物語は僕たちが作ることになっており、3人の俳優の関係も自分たちが決めてよいことになっていました。《警例》の任達華と邵美琪の関係は、その他の物語では同じではありません(《警例》ではよい友人だが、《同袍》ではまったく反対)。従って、このシリーズは、僕たち監督に多くの力を発揮する機会を与えてくれています。
  • 問:あなたが撮影した《警例》と《同袍》の物語はまったく別のものですが、2本はそれぞれ独立した映画として処理してているわけですか。
  • 羅:そのとおりです。それぞれのストーリーに基づいて撮影しています。《警例》を撮った後に《同袍》を撮影したからといって、《同袍》のキャラクターを先に撮った《警例》に関連づける必要はありません。キャラクターの設定も前作と同じにする必要はまったくありません。例えば、林雪の役も2本の中ではまったく違います。ただし1つだけ共通点があり、それは借金をしているということです。
  • 問:《同袍》のストーリーについて、あなたはどれくらい関わっていますか。
  • 羅:物語のアイディアは游乃海によるものです。物語のコンセプトがすべて出来てから、僕たちは杜監督とシーン分けをしました。その後、再び游乃海と僕が各シーンごとの細かい設計をしました。
  • 問:映画を見ると、香港の政治形態を思わせるところがあるのですが、例えば高官の責任についてなどですが、そのようなことを考えて創作したのですか。
  • 羅:創る時にそのようなことは考えませんでした。それよりも人と人の関係について語りたいと思っていました。例えば映画の中では、おかしな人が荒れ果てた家に「天下太平、世界平和」と落書きしています。これは国家の大事とはまったく関係のないことです。人には欲望と欲張りな心があると思っています。これが無数の人と人との衝突を引き起こしているのです。映画の中では、思ったことをなんでも口にしてしまう人が、最もせわしない人に出会って言い争います。殴り合うという方法を用いて表現しているのです。これが僕の見方です。例えば任達華は、本来この仕事を一生懸命やろうと考えています。ところが時間がたつにつれて、個人が一生懸命やっただけではだめで、上司の目に止まならければならないと気がつきます。そこでだんだんと彼の心に悪魔の心が生まれるのです。たとえ邵美琪が橋の下で任達華と、どうすればよい仕事が出来るかを討論したとしても、物事はどんどん進んでしまいます。任達華には邵美琪が何か思惑があって事を起こしているとしか思えず、衝突してしまうのです。劇中「天下太平、世界平和」は、精神の平衡を失った人が書いたものですが、実は彼こそが、劇中最も単純でシンプルな人です。彼は少々頭の可笑しい人ですが、本質的には彼は無欲な人で、ただただ心を込めて字を書いているのです。
  • 問:《同袍》の中の林は主に馬鞍山ですが、その中の地下道は物語にとてもドラマティックな効果をもたらしています。游乃海が脚本を書いた時に、すでに山中のシーンがあったので、こういった場所を探したのですか。
  • 羅:地下道は、そういう場所があるということで、再び脚本を書きました。最初、制作が香港の山々を見て回り、城門水塘近くに戦前の地下道を見つけました。脚本を書いている時には、シーンによってはまだはっきりと分かっていませんでした。この時には、摩星嶺で撮ろうとも考えました。摩星嶺の戦争の遺跡は80年代の香港映画にはよく登場していましたから。その後、城門水塘でこのような場所を見つけたのです。それで僕たちはもう1度物語を書いたのです。地下道を通っていくと、霧の世界にたどり着きます。「霧の世界」は海乃海がすでに考えているものでしたが、その時にはまだこのような地下道は見つけられていませんでした。



 ◎任達華がPTUを演じること

  • 問:何故、PTUという警察の部門に特別な興味を持っているのですか。
  • 羅:まず最初に言うと、《PTU》と《機動部隊》は別の出資者です。商業上の考えからいえば、《機動部隊》シリーズは《PTU》の延長上にあると言えば、魅力的に見えるでしょう。もう1つは資料を収集している時に、《PTU》に関する興味深い物語を沢山発掘しました。例えば、どんな警察官でも、新しく警官になってから2、3年後には、一度はPTUに配属される機会があるということです。そして新人警官の中には、それが1回ではないものもいるのです。不思議なことは、僕たちがインタビューした警察官だれもは、たとえ彼らがどんな部門に派遣されたとしても、PTUで知り合った同僚との関係が最もよいと話してていたことです。つまりはPTUの仕事時間は比較的長いということです。ある警察官はPTUに派遣された時、辺境の地の巡視に行かされ、2日間昼夜、草むらに隠れ不法入国者が出て来るのを待ったと話していました。その時に、家の事や思っている事、さまざまな事柄を話し、解散した後みなそれぞれの部門に派遣されても、彼の心は互いに強い繋がりがあるというのです。
  • 問:《同袍》の中で私たちは、PTUも多くの危険な場面を経験するということを知ります。ドラマ化することで、少し脚色があるとは思いますが、香港のPTUは実際にもこのような危険な場面に出会うのでしょうか。
  • 羅:《同袍》の中で語られている情況は実際にかなり近いものです。彼らは事件を調査する必要がありませんが、香港で発砲事件が起これば、警察はPTUをすぐにPTUたちを現場に送り込み、角から角まで残らず調査をします。ですから映画の中でもPTUたちが山を巡視し山に登り、包囲していき、疑わしき人物を拘束していくわけです。このようなことはよくあることです。ただ彼らは非常に流動的です。もし仮に1チーム40人のPTUを作るなら、すぐに40人のチームが出来上がります。そして香港中には多くのPTU隊があります。僕の知る限りでは、中に1つは特別区行政長官付きです。彼らは普段はどんな任務についていても、長官が招集するとすぐに行動を開始しなければなりません。その後、他のPTU部隊と連携を取り合います。従って彼らは警察署には所属しておらず、警邏もせず、普段は各自ある区域の異なる場所に分散しており、招集がかかると警察の車が彼らを拾いあつめ、すぐに行動を開始します。他の警察官とは違います。彼らは駐車違反でキップを切られることはありません(笑)。

今日はここまで。