葉問(イップ・マン 序章)

《葉問》甄子丹(ドニー・イェン)、樊少皇(ルイス・ファン)、熊黛林(リン・ホン)、任達華(サイモン・ヤム)、林家棟(ラム・ガートン)、池内博之、黄又南(ウォン・ヤウナム)、行宇 
葉偉信(ウィルソン・イップ):監督


佛山は武術の盛んな土地で沢山の武館が立ち並んでいる。葉問(甄子丹)の家は裕福で特に仕事はせず武術の稽古ばかりしている。妻(熊黛林)と息子の葉準との時間より、何かというと友人ばかりを大切にする葉問に妻は不満だ。ある日、武館のシーフーが葉問を尋ねてきて手合わせを頼む。葉問は家の門を閉め、手合わせをして相手を倒してしまう。手合わせの結果は他人に話さない約束をしたが、懇意にしている茶樓の子(黄又南)が窓から一部始終を見ていて、触れ回ってしまう。またある日、金という男(樊少皇)が仲間を引き連れ佛山にやってきて、次々と武館のシーフーを倒していった。葉問の噂を聞きつけ、金は葉家にやってくる。葉問は見事に金を倒してしまう。
そんな頃、佛山にも戦争が忍び寄り、日本軍がやってくる。葉家は日本軍に差し押さえられ、指令本部になっていた。葉問の家族3人ははあばら屋に住まい食べ物にも困るようになり、葉問は働きに出る。そこへかつては警官で今は日本軍の通訳になっている李(林家棟)がやってきていう、「日本軍の将校三蒲(池内博之)は空手の名手で、中国の武術と手合わせをしたがっている、勝っても負けても米をやる」。茶樓の林(行宇)が志願したのだが・・・・。


ねたばれの可能性あり。映画は葉問の人となりを中心に描いていく。武術に優れているだけでなく、人品も優れた人であると語っていく。ただ話の核になるのは、日本軍に占領された佛山で中国人であることに誇りを持ち日本人に屈しなかった。しかし最後には日本人の卑怯な手段によって生命に危機に陥いるという部分である。李連杰ジェット・リー)の《霍元甲(SPIRIT)》と似たような話の構造を持っており、武術の心得のある日本人(《霍元甲》では中村獅童、《葉問》では池内博之)は公平な試合を望むのだが、側近が中国人をないがしろにする(嫌っている)という構造もそっくりだ。しかし《霍元甲》はあくまでも人間の成長の物語であり、その一部として日本人との戦いが描かれているのに対して、《葉問》は最初から出来た人物として登場してくるため、物語は必然的に善悪の戦いに収斂していく。もちろん善は中国人で悪は日本人である。それはまるで国威発揚映画(抗日映画でもある)で、見ていてあまり気持ちのいいものではなかった。
さらにどうやら本来は戦後、共産党を恐れ香港に逃れてきたようだが、その部分は描かれず、あくまでも日本人に傷を負わされ香港へ逃れたということになっている。そのとおりに描いては、大陸で上映できないだろうけれど・・・。


ただ物語の善し悪しを抜きにすれば、甄子丹はこれまでにない成熟した人物を見事に演じている。怒りにまかせて力まかせに繰り出すアクションではなく、あくまでも理性的に(たぶん)型に則ったアクションだし、樊少皇との戦いは、本格派同士で安定していて見事。さらにアクションのないドラマ部分も、これまでにはないキャラクターを自分のものとして演じている。妻役は、台詞は多くなく存在感があればいい役のため、見た目のよい熊黛林で特に問題はなし。任達華は、葉問の友人で綿糸工場を営む周清泉。彼の存在も《霍元甲》の董勇演じる農勁[艸/孫]と重なる。
中で唯一、喜劇的なのが林家棟演じる李[金リ]。最初は警察官として登場してきて、後に日本軍の通訳となる。一環して誇張した演技を見せていた。


アクション満載のクンフー映画ではなく、あくまでも葉問その人の人間性を語る映画だった。
2008.12.19@旺角百老匯


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