廣島廿八

《廣島廿八》蕭芳芳、秦祥林、焦姣、龍剛、關山、李琳琳、金川 
龍剛:監督 1974年 カラー 國語 榮華


広島の郊外にすむ今井栄作(關山)と玉芳(焦姣)には芳子(蕭芳芳)と京子(李琳琳)という2人の娘がいた。芳子は学生で、夏休みにアルバイトで観光バスのバスガイドをし、作家の李(龍剛)を知る。芳子には医療機関につとめる研究者の木村真宗(秦祥林)という恋人がおり、真宗は東京から両親を呼んで今井の家へ出向き芳子を妻にもらおうと考えている。
今井の母は、時たま過去へのフラッシュバック(結婚の様子や軍人姿の男性、男たちに乱暴される様子など)を見て気絶することがあり、父(たぶん教師だと思われる)は日記をつけているが、子供たちは日記をみてはいけないことになっていた。また今井家の周辺には時折、黒いずきんを被った幽霊のようなものが出没し、妻や妹はしばしばそれを目にしていた。
真宗が両親をつれ今井家を訪れると栄作は真宗の父に、これまで娘たちにも秘密にしていた事実「自分は被爆者で娘は被爆二世である」と告げる。真宗の両親は息子と芳子の結婚に反対するが、真宗は芳子への愛を誓う。
ひょんなことから父の日記を盗み見た妹の京子は、姉の芳子が本当は今井家の子供で無いこと知ると同時に、自らも被爆二世であることを知ってしまう。芳子は失意のため失踪、京子は自暴自棄になって酒を飲んだり、同じく被爆二世で芳子に気のある学校の雑用係・義行(金川)と無理矢理関係を持ってしまう。
芳子が失踪して1か月ほどたったある日、作家の李は街頭で千羽鶴を折って平和を呼びかける運動に加わっている芳子に再会する。ところが千羽鶴を折る芳子が倒れ、李が病院に運ぶが、芳子は病院を抜け出してしまう。李は機転を利かし、芳子がアルバイトをしてたバス会社から今井の家の連絡先を聞き出し、芳子の居場所を家族に知らせるのだった・・・・。


少々ストーリーが長くなってしまったが、結末は書かないでおく。
蕭芳芳は髪を短くカットし当時はやりのウルフカットにしている。劇中の性格は非常に内向的。彼女は本来、表向きは内向的でもウチに秘めたエネルギーを感じさせる役の時に魅力を発揮する女優だと思うが、この映画では彼女本来の魅力が今ひとつ発揮されていない。それは日本人女性のしとやかさを表現しようとして、魅力のひとつである真実を見通すようなまなざしを伏し目がちにしてしまった事にもよるかもしれない。
それに比べ妹を演じる李琳琳がよく動き、反抗的な妹的性格を的確に表現して魅力的だ。その他、浴衣姿の關山が日本人っぽく見えた。
龍剛は丁寧に取材し、真摯な態度で映画を製作したであろうことが分かる。それは原爆の悲惨さと被爆二世の悩み・痛みだけでなく、もちろん少し可笑しいところもあるのだが、日本の住宅(実際に日本家屋でロケ)、日本人の立ち居振る舞い、ふすまの開け閉めに到るまで、細かく再現しようとしている様がよく分かるからだ。また、原爆記念式典でのロケも非常に興味深い。難をいえば(ネタバレになるので詳しくは書けないが)、芳子の父親がいくら軍人だったとはいえ戦後28年も経っているのだから・・・という点。


この映画発表時に龍剛は、日本人からお金を出して貰ったのだろうと言われ、日本人のために映画を撮った裏切り者呼ばわりされ、各新聞のコラムがこの映画をこぞって非難したという。《明報》もそのひとつだった。本来はこういった非難には泰然としている龍剛も、日中戦争まで引き合いに出して映画を非難する人が出てきたため、《明報》の査良[金庸](金庸)を訪ね試写室に来てもらい作品を見て貰った。映画を見終わった査良[金庸]は、「もし君が《廣島廿八》が《明報》の作品だといって欲しいなら、僕はそうしてもいい・・・、上映された時、自分は外国にいた。僕の新聞があのように作品を攻撃して申し訳なかった」と誤り、社説で《廣島廿八》を取り上げたという。(以上《香港影人口術歴史叢書:龍剛》より) 
2010.5.8@香港電影資料館(作者本色:龍剛電影)


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