ギャラ値下げで救えるのか

多くの映画人が、スターのギャラの高騰が、映画が撮影出来ない理由の1つだと認めている。スターがギャラを減らす事が、はたして映画を救えるのか? この問題は考える必要があるだろう。一般認識としては、スターのギャラ高騰は映画会社が招いた事である。映画会社は事務所が提示するギャラが高いと言うだろう。しかし事務所側が提示するギャラが高すぎれば、映画会社は出さなくてもいいのだ。結局のところ、映画会社が望んで高いギャラでスターを使っているわけだ。つまり彼らはマーケットがあると思うからだ。つまりはこういうことだ。観客はキャストを見ているのだ、過去の興行成績がそれを証明しいるではないか。
業界の友人は言う、もし《無間道》が劉徳華アンディ・ラウ)や梁朝偉トニー・レオン)じゃなかったら、5000万も売り上げただろうか? 《少林足球(少林サッカー)》に周星馳チャウ・シンチー)が出てなかったら、6000万いっただろうか?
興行成績の悪い映画で、大スターが出ていない映画は、さらに悲惨だ。
海外の配給会社が買い付ける映画は、撮影終了前に買われていく。見るのはキャストと映画の種類。出来がいいか悪いかは保障されていない。キャストが重要だということは事実なのだ。
スターには価値がある。それは観客に責任がある。観客がスターを見ないなら、映画会社はスターの前に札を積んで、サインを迫ったりするバカなまねはしないだろ。そうすれば、スターがかぎりなく値上げすることもないし、多くの映画会社が、スターと長期に独占契約を結ぶこともない。いま、人気のあるスターたちは大映画会社と独占契約しているといっていい。
スターは要るがギャラは下げたい。これはスターと契約している映画会社にはやっかいなことだ。何故なら、契約は守らなければならない。契約は満期になって初めて解決出来る問題なのだ。
契約でスターを縛れば、映画会社はまず9分の1などという少ない金額を支払うなどということはあり得ない。スターの事務所はよく分かっている。契約をすれば、契約の半分の金額を受け取れるのだ。そして残りも、映画を撮ろうが撮るまいが、やはり映画会社は払わなければならない。
もし、あなたが大スターだったら、契約が終わっていないのに、ギャラを下げるだろうか?スターと契約している映画会社は、2つの難題を抱えている。映画を撮らなくても損をし、撮ればもっと損をするかもしれない。もし撮るなら、契約してるスターを出演させ大作を撮らなければならないという恐ろしい状況がまっている。そしてこんな映画は、夏休みやクリスマスや旧正月という時期にしか公開できないという原因にもなっている。
契約のないスターは、ギャラの値下げについて話し合える。先例はないが、ギャラの一部を投資し、興行収益があがれば、分配するという方法もある。ただし、香港映画では売り上げを分配する制度はあまり相応しくない。公開から半年で利益と上映税を払わなくてはならないからだ。
ある大スターは数年まえ、ある映画会社と仲違いした。それは売り上げの分配がはっきりしていないという理由だと言われている。香港映画は資金回収についても多くの問題が吹きだしている。業界人はお互いの信用は薄れ、銀行からの借り入れも困難だ。仮にスターがすすんでギャラの値下げをして、映画製作費が少なくなれば、映画も出来が悪くなる。それで映画が救えるのだろうか??by 2004.12.15「明報」(かなり意訳あり)

専属制度は以前から香港映画(日本映画もかつてはそうだった)が取っている制度で、これはスター至上主義。いいところも悪いところもあると思うが、同じ組み合わせばりというのは、この制度の悪いところ。ただ、スターも水物、戦々恐々と毎日を送らなくも、数年は少し安心して生きていけるという、いいところもあるのではと思うが。
本来なら専属制度を徹底させるためには、映画会社は次ぎ次ぎと自分でスターを捜し、養成しなくてはならない。かつての邵氏のように。いまは養成するという部分が抜け落ちているのでないかと思う(TVBがその養成する部分を踏襲しているわけだけど)。
個人的には、柔軟性が大事だと思うんだ。契約条項に貸し出し制度を作るとか、契約年数を短くするとか。いろいろやりようはあると思うんだけど、まあ契約で縛られちゃってる人々はそう簡単に契約は変えられないのはたしかだけど。謝霆鋒はあと何年の契約があるんだろうか。一生EEGに縛られてそうだ。
だから、新しいスターを作ろうよ!! 香港人は(どこでもそうだと思うけど)基本的にスター見だからね。ただ、そうじゃない映画も面白いのよ、という教育が必要な気がする時がある。これは一気に出来るものじゃないから、徐々になのか。