長洲太平清醮

饅頭の山@長洲15日には長洲の祭り「太平清醮」通称「饅頭まつり」が行われた。
清朝なかごろ、島に疫病がまん延。島民が神に助けを請うと、北帝が、高僧を招き読経し、迷える魂を浄土に送り、神を遊ばせれば、自然と疫病は消えると告げた。島民が教えどおりにすると疫病はなくなった。その後、疫病の再発防止と神への感謝を込めて始まったのがこの祭りだという。しかしなぜ饅頭なのか不明。
この祭りのあいだは「食齋」といって、肉食ができないので、村の肉屋も魚屋も店じまい。レストランもベジタリアン。マックも茸バーガーが売られる。こういう風習、島民は守るのかと思うかもしれないが、これが意外と守られている。マックは「茸バーガー」目当ての人でいっぱいだ。
北帝廟前には、紙で作られた巨大な神が3体飾られる(あとで燃やされるため紙でできているらしい)。さらに高さ数メートルの多きな円錐状の竹組にびっしり饅頭がつけられたものが3つ飾られる。周りには小さい饅頭山もある。これがこの祭りが「饅頭まつり」と言われるゆえんでもある。北帝廟の周りはとにかく線香の煙りで目が痛い。この北帝廟前の広場(というか長洲全体)は、映画《一碌蔗》の舞台でもある。
祭りのハイライトは、「巡遊」といわれる山車の巡行。麒麟(これは珍しい)や獅子の舞い、神様を乗せた轎(輿=こし)、子供が歴史上や物語り上の人物の扮装をして山車の上にのっている「飄色」というものが練り歩く。これは子供が空中に浮いているように見える。一昨年の経験では、巡行の最初の方は子供も元気だが、炎天下厚化粧に衣装で、時間が立つと子供の顔から笑顔が消える。可哀想なぐらいぐったりしちゃう子もいる。
これを見るため、朝はやくから船に乗ってみな長洲へやってくる。沿道は人で埋まる。そして驚くのは、香港にこんなにも多くのカメラ小僧ならぬカメラ野郎がいるということ。みなさん立派な望遠レンズをつけたカメラを抱えていること。一昨年は、島に住む友人の好意で非常によい位置で眺められたのだが、今年は優待もなく(笑)、立ち位置も悪くて良く見えず、途中で見学を放棄。浜辺へ行って、ぼ〜っとして時間を過ごし、帰ってきた。何しに行ったんだと思われなくもないが、それはそれで気分はよかったのでよしとしよう。散歩中には《一碌蔗》に登場する映画館(の廃虚)も偶然に発見。
しかし祭りはこれでは終わらない。事故があって以来26年間中止されていた「搶包山」が復活した。これは夜中の0時に行われる。「搶包山」というのは、円錐型の竹組にびっしりつけられた饅頭を取り合うもので、27年前に、3つある饅頭山が次々と倒れて大事故になり、それ以来中止になっていた。昨年は復活させようとしたが、準備が間に合わず、やはり中止に。今年は周到な準備と安全対策を取ったようだ。
「搶包山」の饅頭山は、高さ14メートル、広場のまん中に1つだけが聳え立っていた(かつてはたぶん北帝前に飾られている3つの饅頭山を使ったようだ)。参加者は、まず48人を募集。全員に香港登山協会の訓練を受けさせ、予選を経て12人に絞った。この12人が饅頭取りを競った。27年前までは一斉にみなが饅頭山にかけのぼって一番上の饅頭を誰が先に取るのかという競技だったと聞いたが、当日の晩、放送されたものを見ると、3分間の間にいくつ饅頭がとれるかを争う競技になっていた。
それも、饅頭山からロープがたらされていて、このロープにからだが固定できるようになっており、ちょうどロッククライミング状態。たぶん以前の勇壮さは消えていただろうが、安全を考えれば仕方のないことなのかもしれない。
そして祭りはまだ続く。16日朝9時から饅頭が配られた。中には朝6時ごろこっそりと盗んでいったやからもいたとか(これでは御利益はないと思うのだが)。饅頭山に取り付けられた饅頭は、一昨年見た時には紙にくるまれていたのだが、今年は1つずつビニールの袋に入っていた。カビが生えてしまったものもあったとか。それでも縁起もの、1時間で饅頭は配り終わったという。事故もなく復活した「搶包山」、来年も継続されるようだ。