《頭文字D》評

・組み合わせの妙《頭文字D

頭文字D》の特殊なところは、日本の物語で香港映画だということだ。すでに多くの香港映画が日本でロケしている。香港人と日本人が共演した映画も多い。しかしこの映画のように原作や背景、キャラクターが日本人など、ずべてが日本で香港人が撮影するというのは、記憶の中では今までに無いことだった。この映画は、香港映画が国を越えていくという特徴をまた一歩進ませたようだ。さらに東南アジア各地の流行を盛り込んだ1作だということがはっきりと分かる。香港の映画界は、実はかなりはやくから、大陸、日本、韓国、タイ、フィリピン、マレーシアと合作しており、今後も互いに交流をして行くとこは大切だ。
台湾の侯孝賢ホウ・シャオシェン)の最近の作品《珈琲時光》は、日本で撮影した日本人の物語だ。しかし日本の制作で、日本人が主演しているし、商業映画ではない。《頭文字D》は、純粋な娯楽作品で、主演女優の鈴木杏を除いて、主要な俳優はすべて中国人で、日本人を演じている。
中国人の俳優は、日本人の特色を備えていないかもしれないが、主題を借りて力が発揮できればそれでかまわない。この映画では、それぞれがみな自然で、特にわざとらしく何かに扮することもなかった。つまりそれは現代の東洋人の感覚であり、見ていて気持ちがいいものだった。全編を通して、思いのほかスムーズに撮れている。「ドリフト」の危険な場面もリアルで、とんでもない技を使うわけではなく、漫画的な場面や喜劇な場面もあまりにばかばかしいということはなく(嘔吐の場面を除いては)、常にナンセンスなばか笑いを取る香港映画とは違っている。
この青春映画は、スーパースターに頼っているわけでもない。台湾の歌手・周杰倫ジェイ・チョウ)が初めて主演(一昨年、林愛華監督の《尋找周杰倫》に客演しているが、興行成績的には失敗している)、地味で内向的だが、親しみを感じる。それを助ける余文樂ショーン・ユー)、陳冠希エジソン・チャン)は「だて男」の格好よさがある。以前より成熟した陳冠希は特に落ち着いていて雰囲気がある。今回も杜汶澤はいつも通り笑いを取る。
圧倒的な存在感は、黄秋生(アンソニー・ウォン)。この「豆腐佬」(豆腐おやじ)の父親は登場したときから一癖ある役で、彼がいなければ、この映画のおもしろさは半減してしまうだろう。黄秋生は《人肉叉焼包》の変態からよい神父、忠実な刑事に変ぼう、今年は《精武家庭》とこの映画でよい父親を演じており、的確に変身をしている。by 2005.6.30「明報」石琪 記

いや、かなりな誉めよう。確かに不思議だったのは、香港人が日本人に扮しているわけだが、それは見ているうちにほとんど違和感が無くなるということだった。畳の部屋で飲んだくれて寝る豆腐屋のおやじや、狭い階段から転げ落ちるおやじも、板張りの廊下を歩く拓海も、鴨居に手を掛け思い悩む拓海も、見ているうちに何も不思議に思わなくなる。
そしてここでもやはり感心するのは、劉偉強(アンドリュー・ラウ)の人選だ。《古或仔》シリーズ、《風雲》ともに漫画が原作だが、ぴったりの人選をしている。そしてたぶん《頭文字D》の人選も漫画の雰囲気はきちっと守っているのだろう。