影藝戲院の運命

灣仔の北「新鴻基中心」にある「影藝戲院」は、今年の末で賃貸契約が切れ閉館する可能性がある。先月すでに少し書いたが、依然として「影藝」は続けるかどうかはっきりしていない。もし人口700万人の都市に、わずかに1軒だけ存在していた藝術映画をかける映画館が本当に閉館してしまったら、かつて光り輝いて映画産業が盛んだった香港は、また一歩「砂漠化」あるいは「ブッラクホール化」してしまうのだろうか?
「影藝」は「銀都機構」によって1988年に作られた2スクリーンの小さな映画館(128席と148席)。もともとは中国大陸の映画上映を目的として作られ、最終的には大陸映画を上映する一方で外国映画も上映するようになった。当時、銀都の幹部だった馬逢國(現在は「香港藝術発展局」を指揮)は、新聞のインタビューを受け、「影藝」で外国映画上映を提案したのは自分で、開業から90年代初めまでは、利益が出来ていたと話した。
「影藝」の初期で最も話題になったのは、日本映画《搶銭家族(木村家の人々)》で、上映日数の最長記録を樹立した。日本のマスコミもまた驚きをもってこのとを報道した。大陸映画について「南方公司」の劉徳は、「1988年から今まで、影藝が上映した大陸映画は100本を越し、開業まもなくのころ、謝晉(シェ・チン)《芙蓉鎮》フルバージョンの上映が、41日間にもわたったことを覚えている。翌年の《開國大典》はさらに長く118日にもなった」と話した。
劉徳はまた、劉[火華](リウ・イエ)主演の山奥の郵便配達を描いた《那山、那人、那狗(山の郵便配達)》は「影藝」で上映され好評を得た。近年では《我想有個家》は感動の涙を流させた。もし「影藝」が閉館すると、大陸映画を配給している「南方公司」は大打撃を受けることなる。あまり人気のない外国映画は他の映画館でかけることも可能だが、人気のない大陸映画は、その地盤を失う事になる(人気のある《英雄》や《夜宴》などは「南方」や「影藝」に頼ってはいない)。
「南方」や「銀都」(前身は長城、鳳凰、新聯)など「左派」の会社は、香港の映画製作、配給、映画館経営に重要な役割を担っていた。1980年代の香港映画のニューウエイブや中国・香港の合作映画におおいに貢献している。しかしここ10年あまりの時代の変化で、香港の映画産業は大きく変わり、返還後「左派」の会社は、その勢いを失っていった。さらに全世界の映画文化はハリウッド式のCG娯楽に対抗できず、映画館もまた「ホームシアター」の脅威にさらされている。
このような状況の元で、「影藝」の存在は実に貴重なものであった。ここで上映され、多くの人の心に残った中国や外国の映画は、どれも素晴らしい映画であるという証拠で、人を引き付ける力をもっていたということになる。しかし率直にいえば、近年「影藝」での上映作品は、厳選できておらず、凡庸かまたは水準に達しない映画であった。もしかりに「影藝」が閉館を免れたとしても、上映作品の選出にさらに心を配らなければ、生き残ってはいけないだろう。by 2006.9.8「明報」石[王其] 記

ウチから遠いのと、さらに特殊な映画館なので、ここで映画を見るのは映画祭の時ぐらいだった。南方影業についてはid:hkcl:20051130#p1に本の紹介で少しだけ記している。

家主が契約継続をしないと通知しているため、閉館に追い込まれている。別の場所を探し営業を続けるかどうするかという状態らしい。もし無くなると、影藝だけでしか上映されていなかった作品(主に上記の記事に出てくる中国映画)は、百老匯電影中心が拾ってくれそうな気もする。
百老匯電影中心は、普通のロードショー作品も上映しつつ、日本でいえば単館ロードショー的な作品も上映して、なんとか採算を取っているのだろう。
ちなみにいま影藝で上映中の中国語映画は《瘋狂的石頭》と、陳慧珊(フローラ・チャン)、連凱(アンドリュー・レン)、呉嘉龍(カール・ン)の《死心不息》。《死心不息》は見たいと思っているうちに上映が終わってしまった。ところが昨日あたりから突然復活したらしいので、なんとか見に行きたい。