曹達華亡くなる

曹達華(チョウ・ダッワー)は3日前、イギリスで病気のため亡くなった。享年91歳(92歳と書いているころもあり)。

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「銀壇鐵漢」の名で知られる曹達華は、30年代に映画界に入り、700本を越える映画に出演した。なかでも200本以上は武侠映画への出演で、さらに映画会社、スタジオ、映画館に投資もした。華叔は、映画界に数十年、獲得した奨も数知れず。最も人々が覚えているのは、《如來神掌》の「龍劍飛」、《黄飛鴻》の「粱寛」、探偵映画の「曹探長(刑事)」などで、多くのファンを持ち、人々の心に深く残っている。
華叔は、1915年、広東台山生まれ。15歳の時、単身上海に行き、俳優として月明影片公司に入り、彼の俳優生活が始まった。初めての映画は無声映画《関東大侠》。1935年香港へ戻り、映画《山東響馬》に出演、4年後に撮った映画《烈女行》で初めて主役を得た。しかし映画ファンに最も印象深い作品は、50から60年代の《如來神掌》《黄飛鴻》や多くの探偵を題材にした映画だ。
・第一代の粱寛
40年代末、武侠小説が一世を風靡し、多くの映画会社が争って武侠映画を撮影した。世界で最も長いシリーズとなった映画《黄飛鴻》もこの時期に撮影が始まる。1949年、1本目の黄飛鴻映画《黄飛鴻正傅》は、關徳興(クワン・ダッヒン)が黄飛鴻、曹達華が粱寛を演じ、第一代の粱寛となった。本来、4本の予定だった黄飛鴻映画は、《粱寛帰天》で終わりだったが、最後にはやめることが出来ず、主役の1人粱寛も生き返えり、ファンの華叔へ思いが見てとれた。
彼を有名にしたのは、《如來神掌》で演じた龍劍飛。5作シリーズの武術アクション映画は、曹達華、于素秋主演、華叔が劇中で使った技「萬佛朝宗」は多くのファンを喜ばせた。後に現代劇に転じたが、イメージは変わらず、刑事役を専門とした。これが「銀壇鐵漢」の称号を彼に与えることになり、今にいたるまで、多くの人は彼を「曹探長」と呼んでいる。その後、齢を重ね、90年代から徐々に映画界から引退していった。
・古着で大もうけ
華叔は俳優でもあり、映画会社の社長も勤めた。1941年香港陥落後、映画製作は停止していた。華叔は大陸で古着の需要があることを知り、商才のあった彼は、この仕事に手をつけ、人生で最初の大もうけをする。1948年、平和になった後、華叔は妹と九龍城侯王廟近くの空き地を購入、友僑影業公司と友僑片場(スタジオ)を作った。最初の映画は《銅鎚侠大戦九花娘》(上下)。翌年の《七劍十三侠》は彼自ら出演、代表作の一つとなった。後に友僑片場は焼失する。60年代、粤語片(広東語映画)は国語片(北京語映画)に押され、低迷期に入るが、華叔は香港の映画産業を助けるため、1969年文華電影公司を創設、《江湖第一劍》と《神探一號》を製作、後者では監督も勤めた。興行成績は悪くなかったが、低迷を救うには難しかった。


華叔は90年代初めから徐々に映画界を引退、01年には香港影評人協会の金紫荊奨の「終身成就奨」を受賞、03年には石堅(シー・キエン)とともに香港電影金像奨の「専業精神奨」を受賞した。華叔は尖沙咀「星光大道」に手形を押した映画界の先輩の一人であり、その足跡は映画界において重要である。by 2007.1.16「頻果日報」

賭け事で大金をすったという逸話もあるようだ。しかし700本の映画とは(驚)。《如來神掌》は、掌からひゅーっと白い光線が出ちゃうヤツですね。やっぱりDVDを買ってしまおうか(たしかセット売りしていた)。
昨年11月、香港に戻っている時に転んで怪我をしている(id:hkcl:20061106#p1)。その後、回復し、イギリスに戻っていた。