再生號

《再生號》劉青雲ラウ・チンワン)、閻清、林煕蕾(ケリー・リン)、谷祖琳(ジョー・クー) 
韋家輝(ワイ・ガーファイ):監督


10年前の自動車事故で父親(劉青雲)を失い、自らも目が不自由になったメロディ(閻清)は、母親(林煕蕾)に笑顔を取り戻させようと、一家団欒ができるようにと物語を書き始めた・・・。


韋家輝という人は独特の世界観を持った脚本を書く人だ。これまでも《我左眼見到鬼》《大隻佬》《神探》でその独自の世界を見せてきたが、今回も際立ってすばらしい世界が展開される。
眼の不自由なメロディが書き出す物語は、なんと事故で死んだのは自分たち(母と弟と自分)で、父親だけが生き残り、眼が不自由になるという、現実とは反転した世界だ。そしてその物語世界では幽霊が存在し、自分たちが幽霊となって物語世界へ入っていき一家団欒を実現させようとする。さらに物語世界 の父親も物語を書き出すという、2重の入れ子構造になっている。普通に考えれば、事故で誰も死なず一家団欒するという物語を考えるだろうが、そこに大きなひねりが入っている。


さらに物語世界の父親は、家族が幽霊となって自分の元へやって来るのに気がつくが、幽霊と人間が同じ空間に生きることはできないので、幽霊となって帰って来た家族を家族と認識してはいけないと言われる。さらに人間と幽霊が一緒に生活するには、他人に悟られず、ひっそりと暮らさなければならず、一家は物語世界で小孟婆(孟婆は記憶を司る神だとされ、人間が生まれ変わる時、孟婆湯を飲んで過去の記憶を消し去り、生まれ変わるとされている)となっているメロディの導きで、林の中で暮らすことになる。しかし物語世界と現実世界が交錯し2つの世界が混乱して、さらなる悲劇が生まれてしまう。
しかし主人公は悲劇を現実として受け入れるために物語を書きすすめ集結させ、さらに勇気をもって自らを鼓舞して、前に進んでいこうと強く心に誓う。そんな前向きなメッセージが映画の最後に込められていた。


セットもなかなか面白い。物語世界の父親が住む家は、ピークトラムの脇にあり、トラムの音が絶えず聞こえる。タイトルの「再生號」は、人々が生まれ変わるために乗る列車の名前。上がり下がりするトラムが人々の再生(生まれ変わり)を司る列車を連想させたのかもしれない。さらに秀逸なのは、一家が引っ越した林の中の家で、家具は元の家のままだが、床は地面で天井も壁もない住宅で、枯れ葉が降って来る。《トニー滝谷》のたえず風が吹いている家を思い出した。


前日に見た《殺人犯》にも独自の世界観はあったのだが、それを観客に納得させられないから、笑いが起こってしまったのだろうと思う。映画全体が1つの世界感でしっかり構築されていて、観客にその世界感を納得させることがどんな映画にも重要だと、この《再生號》を見てますますそう思う。
2009.7.10@新寶戲院


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《再生號》のロケ地についてはココを参照。